クサントス・レトーン
クサントス・レトーンはトルコの世界遺産で、二度の悲劇に見舞われたエーゲ海沿岸リュキア地方の中心地であるクサントスには「海の民」ともいわれるリュキア人の独自の文化が反映された遺跡が残っています。
クサントス
クサントスは、古代ギリシャ及びローマ人の人々が多くの記述を残していることで知られ、ストラボンは、クサントスがリュキアにおける最大の都市であると記しました。クサントスの代名詞のようなハーピーの墓は、箱形をしており、イギリス人考古学者チャールズ・フェローズが発掘したものです。
古代リュキア地方ではいくつかの都市が同盟で結ばれていました。その一つクサントスでは、紀元前545年にペルシア軍に包囲された際には集団自決の道を選び、前42年にローマ軍の侵略を受けた際には、財貨提出を強要されたが拒んで集団自決したという歴史を持っています。
レトーン
そのクサントスから8km離れたレトーンには、古代ギリシャ・ローマ時代の神殿が残っています。レトーンは、ギリシア神話に登場する女神レートーの名前に由来する古代アナトリア・リュキアの聖域です。
レトーンにおける考古学研究では、レトーン遺跡の始まりは、紀元前6世紀であるとされています。レトーン遺跡は、古代ローマの時代まで活発で、キリスト教化も早期に行われました。レトーン遺跡の石は教会の建設に用いられたりの転用を繰り返し、7世紀にはレトーン遺跡は、放棄されたとされています。