古典主義の都ヴァイマル



古典主義の都ヴァイマルはドイツ東部のテューリンゲン州の都市ヴァイマルにある、ドイツ古典主義の劇作家であるゲーテやシラーにゆかりのある建造物等から構成される世界遺産です。

ドイツ古典主義について

18世紀末から19世紀初頭にかけて花開いたドイツ古典主義は、ギリシャ・ローマの古典古代を理想と考え、その時代の学芸・文化を模範として仰ぐ傾向のことであり、ゲーテやシラーに代表される多くの時代の先導者たちが、建築様式や芸術、音楽や文学など、さまざまな分野で均整と調和を理想と掲げた新しい様式を切り開きました。

ヴァイマルについて

もともと農業王国の首都として栄えたヴァイマルは18世紀に当時の君主カールアウグストがゲーテを行政官として招いたことをきっかけに文化都市として発展し、後に加わったシラーらの力によって、音楽や芸術などの一大拠点として繁栄した都市。

世界遺産「古典主義の都ヴァイマル」

記念館として残る「ゲーテ・ハウス」や「シラー・ハウス」などの他、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公妃アンナ・アマーリにゆかりの「アンナ・アマーリア図書館」などの11件の建造物や公園などが大事に保存されており、当時の栄華をしのぶことができます。

ゲーテ・ハウス

ゲーテ・ハウスは、1707~1709年に建設されたバロック式の邸宅です。ゲーテは、33歳の時に当時住んでいたイルム公園内の住まいから、ゲーテ・ハウスへ引っ越します。それから亡くなる83歳までの50年間、ゲーテ・ハウスで暮らしました。邸宅は、イタリアを旅行した際に感銘を受けたゲーテが、イタリア美術を参考に自らデッサンを描き、自分好みの邸宅を造り上げました。

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シラー・ハウス

photo credit: froutes Weimar Schillers Wohnhaus via photopin (license)

ゲーテ・ハウスから、わずか数百メートルの場所にあるシラー・ハウスは、1802年から1805年まで、シラーが家族とともに暮らした家です。シラーは、1799年ゲーテの招きによって、ワイマール宮廷劇場の顧問役としてヴァイマルを訪れます。そして、1802年シラー・ハウスに転居すると、本格的に劇場運営に携わり始めました。シラーの代表作「ヴィルヘルム・テル」が執筆されたのも、このシラー・ハウスです。

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アンナ・アマーリア図書館

photo credit: Karamellzucker Weimar via photopin (license)

アンナ・アマーリアは、ゲーテを招聘したザクセン・ヴァイマル公カール・アウグストの母で、夫である公爵が急逝後、摂政として息子が君主となるまでの間、ワイマール公国を治めた人物。アンナ・アマーリア公爵夫人は、学問、芸術に大変造詣が深く、のちに「古典主義の都ヴァイマル」と称されるヴァイマルの礎を築いたのも公爵夫人といわれています。アンナ・アマーリア図書館は、「緑の館」と呼ばれたルネサンス様式の城館を、アンナ・アマーリア公爵夫人が改築し、1766年に図書館とし開館させました。

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ベルヴェデーレ城

photo credit: randwill Schloss Belvedere via photopin (license)

ベルヴェデーレ城は、ヴァイマルから南に約3kmの場所にあります。当初は、簡素な公爵家の離宮として建てられましたが、1724~1726年に贅沢なバロック様式の建物に改築されました。その後、1756~75年には、アンナ・アマーリア公爵夫人が夏の離宮として利用するようになりました。

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イルム公園

photo credit: Udo Schröter Weimar 63 via photopin (license)

イルム公園は、カール・アウグスト公に招かれたゲーテが最初に住んだ家があることで有名です。ゲーテの最初の住まいは、木造2階建ての建物で「ガルテンハウス(庭園の家)」と呼ばれています。ゲーテは、イルム公園のある大きな森をイギリス庭園のように造園することに熱中し、またイルム公園を一望するガルテンハウスで、数多くの詩を作ったといいます。

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大公家の墓所と歴史的墓所

大公家の墓所と歴史的墓所は、総面積約5万㎡の敷地を有する墓所です。大公家の墓所と歴史的墓所には、ヴァイマル古典主義を代表するゲーテやシラーの棺も収められています。ゲーテは、1805年に亡くなったシラーと自分の棺を納める共同納骨堂の設計にも加わったといます。現在、ゲーテとシラーは共に同じ場所で並んで眠っています。

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ヴィットゥムス宮殿(寡婦宮殿 / 未亡人宮殿)

ヴィットゥムス宮殿は、寡婦宮殿または未亡人宮殿ともいい、寡婦とは、アンナ・アマーリア公爵夫人のことです。1775年、公爵夫人は、居城であったヴァイマル城が火災によって消失したため、ヴィットムス宮殿に移り住みます。公爵夫人は、亡くなる1807年までの32年間をヴィットムス宮殿で過ごしました。

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ヘルダー聖堂

photo credit: froutes Weimar St.-Peter-und-Paul via photopin (license)

ヘルダー聖堂は、1498~1500年にかけてペテロ・パウロ教会として建設されたゴシック様式の聖堂です。ヘルダーとは、神学者であり哲学者でもあったゲーテの師匠ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーのこと。ヘルダー聖堂がある広場には、ヘルダーが住んだ家、18世紀後半の様式で造園された庭など、聖堂だけでなくヘルダーゆかりの建物も残っています。

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エッタースブルク城

photo credit: usiruk via photopin (license)

ヴァイマル市街を一望する標高478mの小高い丘に、エッタースブルク城はあります。城は、1706~1712年に建造され、建設当初は、侯爵家の狩猟用別荘として使用されていました。

その後、新宮殿が建設されますが、その新宮殿も1728~1739年に改築されます。改築後は、アンナ・アマーリア公爵夫人が、ベルヴェデーレ城に次ぐ夏の離宮として利用しました。

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ティーフルト城

ティーフルト城は、ヴァイマル郊外にあり、アンナ・アマーリア公爵夫人の末息子コンスタンティン皇太子が暮らした城館です。新古典主義様式で造られており、もともとはアンナ・アマーリア公爵夫人が夏の離宮として利用していました。

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