古代都市テーベとその墓地遺跡

「古代都市テーベとその墓地遺跡」はエジプトのナイル川沿い、ルクソール近郊にあり、地中海からおよそ800㎞南方に位置しています。テーベは約1,000年もエジプトの首都として栄華を誇り、現在ではルクソールと呼ばれています。

カルナック神殿やルクソール神殿の他、ツタンカーメンの墓がある「王家の谷」や数々の葬祭殿が点在しており、考古学的価値が非常に高い一大遺跡地区です。1979年、世界遺産に登録されました。

「古代都市テーベとその墓地遺跡」主要スポット

古代都市テーベ(現ルクソール)とは

生者の世界(居住区)

死者の世界(ネクロポリス)

古代都市テーベ(現ルクソール)とは

紀元前3000年頃から紀元前4000年頃にかけて、ここにはすでにセペトという都市国家がありました。その後、エジプト中王国(紀元前2000年~紀元前1800年頃)第11王朝時に首都となり、新王国(紀元前1600年~紀元前1000年頃)第18王朝までの約1000年間にわたって王国の中心として繁栄しました。

元来ここではアメン神が信仰されていましたが、エジプト王国の太陽神ラー信仰と合わさり、アメン・ラーとなります。そして、カルナック神殿は信仰の総本山となりました。

生者の世界(居住区)

「古代都市テーベとその墓地遺跡」は、ナイル川東岸と西岸に分かれています。東岸は「生者の世界」として、カルナック神殿やルクソール神殿が建てられ、居住区が造られました。

カルナック神殿

【世界遺産】古代都市テーベとその墓地遺跡ナイル東岸に建てられたカルナック神殿は、アメン大神殿やその妻ムートの神殿、軍神メンチュの神殿と祠堂、塔門(パイロン)などから構成されている複合体です。そのため、総面積は100ha以上にも及びます。紀元前2000年頃から紀元前100年頃まで、何代もの王たちが改修と増築を重ねた結果、巨大な神殿となりました。この壮大な様子はかのホメロスの「イリアス」にも「100の塔門を持つ都」として登場します。

ルクソール神殿

【世界遺産】古代都市テーベとその墓地遺跡

photo credit: P1010349 via photopin (license)

カルナック神殿の副神殿として造られたルクソール神殿は、かつてはカルナック神殿とスフィンクス参道で結ばれていたそうです。年1回ナイル川が増水するため、オペト祭を催すために造られました。ラムセス2世の巨大な石像があります。

死者の世界(ネクロポリス)

一方、西岸は「死者の世界」すなわちネクロポリスとして、墓地である王家の谷や王妃の谷、葬祭殿などが造られました。当時の人々は、太陽が沈む西の方角を死者の街として考えていたのです。

メムノンの巨像

ナイル川の西岸を渡って最初に目にするのが、メムノンの巨像です。新王国時代、アメンホテプ3世の命によって建てられたメムノンの巨像は、アメンホテプ3世自身の巨像です。高さ2.3mの台座の上に、15.6mの像が置かれています。

ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)

ラムセウムは、紀元前1270年頃に建てられたラムセス2世の葬祭殿です。ラムセウムと名付けたのは、エジプト学の父シャンポリオンで、ラムセウムを「テーベで最も高貴にして典雅な建物」と称えています。彼は、ナイル川西岸、歴代ファラオの王墓が集中する地域を、「王家の谷」と名付けたことでも有名です。

ラムセス3世葬祭殿

ラムセス3世葬祭殿(別名:メディネット・ハブ神殿)は、古代都市テーベとその墓地遺跡の「死者の世界」と考えられていたナイル川西岸にあります。ラムセス3世は、エジプト新王国・第20王朝のファラオです。尊敬する第19王朝のファラオ、ラムセス2世の治世を目指していたと伝えられています。

ハトシェプスト女王葬祭殿

ハトシェプスト女王葬祭殿(別名:デール・エル・バハリ神殿)は、王家の谷の東、切り立った断崖の下に建設された太陽神アメンラーを祀る葬祭殿です。ハトシェプスト女王は、王家の谷に初めて王墓を築いたトトメス1世の娘であり、トトメス2世の王妃でもあった女性です。

王家の谷

【世界遺産】古代都市テーベとその墓地遺跡

新王国初代のトトメス1世が、山中の地下に墓を造ったことが始まりといわれています。その後、歴代の王たちがそこに墓を造るようになりました。ラムセス2世、ラムセス3世、セティ1世の墓もここにあります。

王家の谷で最も有名なのは、1922年にハワード・カーターによって発見されたツタンカーメン王の墓です。

王妃の谷

王妃の谷には、ラムセス2世の妃であったネフェルタリの墓があります。彼女はエジプト史上でもたぐいまれな美女として有名で、ラムセス2世は心をこめた愛の言葉を彼女の墓に刻んでいます。見学は1日150人限定で、10分間だけです。

デール・イル・マディーナ

デール・イル・マディーナは、アメンホテプ1世の命により設けられた王家の谷を建設した労働者の町です。町には、墳墓建設のため職人や石工、絵師などの他に、兵士もおり墓守として周辺の警備も行っていました。

貴族の墓

ナイル川西岸、ハトシェプスト女王葬祭殿とラムセウムの間にある山の斜面に、いくつもの穴が開いているのが見えます。それらは、古代エジプトの高官や神官、職人の長官などの墓であり、「貴族の墓」と呼ばれています。貴族の墓には、保存状態の良い素晴らしい壁画が残っており、当時の農作業や猟、建設など古代エジプト庶民の日常が描かれています。一つ一つの墓の規模は小さいですが、色鮮やかな壁画に目を奪われます。

セティ1世の葬祭殿

セティ1世の葬祭殿には、歴代の王の名前が刻まれた王名表があり、初代王からラムセス2世までの名前が刻まれています。しかし、ハトシェプスト女王やアメンホテプ4世(アクエンアテン)の名前はなく、王名表は、古代エジプトの歴史研究において大変重要なものとなっています。

ギャラリー

この世界遺産のデータ・地図(場所)

名称古代都市テーベとその墓地遺跡
エジプト
登録区分 世界文化遺産
登録年

1979年

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