タイにあったスコータイの町は小タイ族(現在のタイ人の多数派)であるシーインタラーティット王によりスコータイ王朝の都として建設がなされました。
この王朝はラームカムヘーン王の時代に大きく発展し、東南アジアの一大国となるがその死後、勢力は衰えアユタヤ王朝が建つ頃には、小国になり、アユタヤ王朝の属国の時代を経てアユタヤに吸収されました。
スコータイ王朝には数々の主要都市があり、このうちの幾つかが廃墟になりながらも現存しています。80年代始めにスコータイと関連する歴史公園3つが相次いでタイの文部省に登録されました。その後文部省はこの遺跡をユネスコに推薦し、1991年には、「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」という名で世界遺産になりました。
「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」主要スポット
スコータイ歴史公園
スコータイ歴史公園は、東西1.8㎞、南北1.6㎞の城壁に囲まれたスコータイ旧市街と、城壁外の寺院などから形成されています。総面積は70㎢ほどあります。園内には非常に多くの寺院などの遺跡があります。
シーサッチャナーライ歴史公園
シーサッチャナーライは、スコータイより一回りほど小さい城壁と堀に囲まれています。ここにスコータイ王になる前のリタイ王が寺院などを多く建設しました。シーサッチャナーライは、歴代の副王が王となる前に統治する地でした。
カムペーンペット歴史公園
カムペーンペットは「金剛の城壁」という意味で、ビルマからの侵攻を防ぐ目的で造られたといわれています(城壁は南北2200m、東西500×250m)。それまではチャーカンラーオと呼ばれていました。カムペーンペット歴史公園にある寺院・遺跡の歴史は、14世紀にスコータイ王朝のリタイ王がワット・プラシーマハータートという仏教寺院を造ったという記録があります。