ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域



1997年世界遺産に登録された「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」は、イタリア南部ナポリ近郊にあった古代都市ポンペイやヘルクラネウムの都市遺跡やヴィラ、トッレ・アンヌンツィアータのヴィラなどから構成されています。

ヴィラは古代ローマを起源とする、上流階級が田舎に建てた家のことです。

ポンペイの歴史

ポンペイはイタリアのナポリ近郊にあった古代都市で、紀元前89年よりローマの自治都市となっていました。海に面した商業都市で、アッピア街道に物資を運ぶ拠点として栄え、最盛期には約2万人もの人々が暮らしていたそうです。噴火前のヴェスヴィオ火山の斜面を利用して葡萄栽培を行い、ワインの醸造も盛んでした。

しかし、1世紀になると地震が頻発し、79年にはヴェスヴィオ火山が大噴火を起こします。時速100㎞を超える大火砕流は一瞬にして街を飲み込み、2000人の人々が犠牲になりました。この中には、「博物誌」を記した学者大プリニウスも含まれていたのです。ポンペイの街は、こうして5mの火山灰に埋もれてしまいました。

16世紀頃から、ポンペイの遺跡の一部は発見されており、地下に遺跡があることは認識されていたようです。発掘の呼び水となったのは、18世紀にヘルクラネウムの遺跡が見つかったことでした。1748年から、ブルボン家のカルロの主導により発掘が進められていきます。1863年には、考古学者ジュゼッペ・フィオレッリにより、火山灰土中の空間に石膏を流し込み、当時の人々の最期の姿が復元されました。

ポンペイの遺跡

遺跡が発掘されたことで、当時のポンペイが、整然とした計画都市であったことがわかります。道路には馬車の轍が設けられ、排水機能も備えていました。横断歩道まで備わっていたのです。

また、多くの壁画が見つかっています。風景や風俗、神話、男女の営みなど、ジャンルは多岐に渡っています。これらが当時の文化を理解する資料となりましたが、その他にも、火砕流に飲み込まれる直前までの生活の様子がそのまま残されており、貴重な遺物となっています。

フォロ

公共広場の跡で、人々はここに日常的に集い、語らいました。政治の中心の場所でもありました。

神殿

photo credit: via photopin (license)

photo credit: via photopin (license)

フォロの周辺に建てられた神殿は様々ですが、ジュピター神殿やアポロ神殿がありました(写真はアポロ神殿)。

スタビアーネ浴場

男女別になっており、浴室は冷・温・熱と3種類ありました。食堂やマッサージ室も付属していたそうです。

住居

ファウノの家では、アレクサンドロス大王のモザイク画が見つかっています(画像左端がアレクサンドロス大王)。

秘儀荘

ポンペイ市壁外にあり、1910年に発見されました。内部には、当時ポンペイで信仰されていた、官能性を多分に含んだ「デュオニュソス信仰秘儀」の壁画があります。この背景を彩る赤の鮮やかさは、「ポンペイ・レッド」と呼ばれています。ポンペイの絵画には4つの様式がありますが、これはその中でもいちばん美しいものだといわれています。

▲目次に戻る

ヘルクラネウムの歴史と遺跡

photo credit: Herculaneum via photopin (license)

photo credit: Herculaneum via photopin (license)

ヘルクラネウムの遺跡はイタリアのカンパーニャ州エルコラーノにあります。エルコラーノは、ヘルクラネウムがイタリア語化したものです。

ヘルクラネウムの歴史

ポンペイと同じく、ヘルクラネウムは紀元前89年にローマの自治都市となりました。高級保養地として栄えたそうです。

そして、79年のヴェスヴィオ火山の噴火に伴う火砕流で、深さ20mもの溶岩と灰に覆われてしまいました。逃げられた人々もいますが、ここからは200体の遺体が発見されています。

1709年に井戸を掘っていた人に発見され、1738年に本格的な発掘が始まりました。これによってポンペイの遺跡も発掘されることになったのです。

ヘルクラネウムの遺跡

photo credit: Pistrinum via photopin (license)

photo credit: Pistrinum via photopin (license)

ヘルクラネウムにも、火山灰の下から発見された多くの遺跡があります。

共同浴場

当時のローマ都市には共同浴場があるのが一般的で、ヘルクラネウムにもこのようなものがありました。

ネプトゥヌスとアンフィトリテの家

海の神とその妻のモザイク画が見つかりました。彩色が美しい状態のままで保存されています。

鹿の家

入口に、犬に追われる鹿の彫刻があったことから「鹿の家」と呼ばれるようになりました(現在はレプリカです)。内部は広く、多くのフレスコ画が残されています。

パピリの館

市壁の外にある、上流階級のヴィラの跡です。

▲目次に戻る

トッレ・アンヌンツィアータのヴィラ

photo credit: peristyle via photopin (license)

photo credit: peristyle via photopin (license)

トッレ・アンヌンツィアータは、ポンペイとは2.5㎞ほど離れており、カンパーニャ州ナポリ県にあります。ヴェスヴィオ火山の南にあり、港湾都市として栄えました。

1964年から発掘が開始され、オプロンティスのヴィラが発見されました。これは、皇帝ネロの妻ポッパエアが所有していたと考えられています。他にも、静物やクジャクのフレスコ画が発見されました。

 

発見されたことで劣化が進み、倒壊の危機に瀕しているものも少なくありません。また、夏場は日差しがきつく日陰が少ないので、十分な対策をしていくことをおすすめします!

関連記事

 

この世界遺産をシェアする



 

あわせて行きたい世界遺産

キーワード

この世界遺産のレビューを書く
体験談・レビュー・価値ある情報などは記事内に移動することがございます。皆さまからの情報をお待ちしております。

メールアドレスが公開されることはありません。

こちらも読まれています。

他の世界遺産を名前から探す