パナマ・ビエホとパナマ歴史地区
パナマ・ビエホとパナマ歴史地区は、パナマの首都であるパナマシティの東に位置している世界遺産に登録されている文化財として貴重な建造物群です。
パナマ・ビエホはアメリカ大陸の太平洋岸で最初のスペイン人の植民都市として知られています。1671年にはイギリスの海賊ヘンリー・モーガンの来襲によって破壊されましたが、再建以降は中南米有数の貿易拠点として発展しました。
現在、古建築群が立地ないし埋蔵されている280,000m²にも及ぶ広大な地域は、歴史公園として財団が管理しています。また、公園内には大聖堂前に土産物店等が入居する建物(旧国軍司令部)と1953年にパナマ建国50周年を記念して作られた生活・基幹道路の建国50周年記念道路があるが、ともに貴重な文化財保護の観点から財団では移転を国に強く要望してます。
この遺跡の特徴は、主要なものだけでも8つの宗教施設が見られることにあります。大聖堂は、南北55m、東西最大35mの規模を持つ町の象徴的建物です。
また、歴史地区の中心にある修道院にはラテンアメリカ独立の指導者シモン・ボリーバルが「パナマ会議」の構想を練ったとされる、サロン・ボリーバルが残っています。