パルミラの遺跡

パルミラの遺跡

世界で最も美しい廃墟の一つと言われるパルミラ遺跡は、シリアにある世界遺産で、ローマ帝国支配時の都市遺跡です。パルミラはナツメヤシの緑に包まれ、その名前もギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」からとられたと言われています。

パルミラの歴史

古代ローマ時代、シルクロードを行き交う隊商にとって、難関の一つとされて いた土地がシリア砂漠でした。広大なこ の砂漠を通過するには、ラクダの足で40日かかったと言われます。しかし隊商たちは、この砂漠の中央にオアシスがあるのを知っていました。メソポタミアと地中海を最短で結ぶ交易路にあるパルミラが、隊商都市として繁栄したのは紀元前1~後3世紀のこと。前64年にこの地を属州としたローマも自治権 を与えるなどして庇護し、街にはローマ様式の建物が数多く建設されました。

しかし一人の女性が、ローマ帝国との友好関係に終止符を打つことになります。パルミラ王オダエナトゥスが暗殺された267年、 実権を握ったその妻であり、クレオパトラの末裔を自称するゼノビア女王は、皇帝のような威厳と気品に満ち、類い希な美貌を誇りました。ローマ帝国からの自立を目指した女王は、実権を握ってからわずか5年ほどで、周辺諸国を支配下に治めました。

これに対して272年、時のローマ皇帝アウレリアヌスは、討伐軍を率いて出兵し、パルミラを包囲したアウレリアヌスは初め投降を勧めましたが、ゼノビアは応じません。そしてゼノビアはローマ帝国と真っ向から対決し、激しい攻防を繰り広げました。 しかし強大なローマ軍の前に、力尽き、 2年後、捕虜としてローマに連行されてしまいました。パルミラはこの戦いで徹底的に破壊されました。のちに再建されますが、ゼノビアのいない街に栄華は戻らず、これ以降、歴史の表舞台から姿を消すことになります。

ベル神殿

【世界遺産】パルミラの遺跡
photo credit: via photopin (license)

ナツメヤシの林を背にしたパルミラの街は、城壁で囲まれた部分が約10km²。最大の建造物は、街の南東奥に建つベル神殿です。ここに祀られたベルとは「主」 を意味し、古代シリアでは土地に肥汰を もたらす最高神とされていました。

32年に奉献されたベル神殿は、ギリシア風の建物で、210m×205mのほぼ正方形をなし、400本近いコリント式円柱に囲まれていました。その中央に神像安置所を内包する本殿が建ちます。本殿が現在もほぼ原型をとどめているのは、あまりの荘厳な作まいに、ローマ軍が破壊するのを躊躇したためといわれています。

世界でもっとも夕陽が美しいパルミラ遺跡

パルミラの遺跡は『世界でもっとも夕陽が美しい』とも言われており、夕陽に染まった遺跡のあまりの美しさに砂漠を行きかうシルクロードの商人たちは「バラの街」という愛称で呼びました。

このパルミラ遺跡は、中東三大遺跡と呼ばれると同時に中東の3P遺跡とも呼ばれています。

ISに破壊されたバールシャミン神殿

このバールシャミン神殿は2015年8月23日、イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」によって爆破されました。

ギャラリー

この世界遺産のデータ・地図(場所)

名称パルミラの遺跡
シリア
登録区分 世界文化遺産
登録年

1980年

キーワード

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  1. 若松佳代子 より:

    武力紛争の際の文化財の保護に関する条約、いわゆる「1954年ハーグ条約」が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出されましたが、残念ですね。即ち、歴史の教訓から学ぶことが必要ですね。

  1. 2016/06/02

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