ギリシャ・ペロポニソス半島にある古代ギリシアの都市であったオリンピアはオリンピック発祥の地。ゼウスに捧げる祭典からはじまった古代オリンピックを伝える地として知られています。
2つの川に挟まれた山間の聖地で、松やオリーブの豊かな緑と穏やかな風景に包まれた古代遺跡です。
「オリンピアの考古遺跡」は1989年にギリシャの世界遺産として認定されました。
20万人もの人々が熱狂した古代オリンピック
第1回大会が行われたのは、紀元前776年でした。4年に一度、夏至の後の満月の日より5日間かけて行われていました。参加基準は厳しく、刑罰経験のないポリス市民の男子で10ヶ月の訓練後オリンピアで1ヶ月の合同練習で認定されたもののみが参加できたようです。
短距離走、レスリング、5種競技、戦車、競馬など種目は多い時で21種目ありました。女性や子供、奴隷は入れないにもかかわらず、観客は20万人もいたといわれています。優勝者にはオリーブの冠が与えられ、詩人や彫刻家たちは作品を通して参加者を支えていました。
紀元前5世紀に絶頂期を迎えたオリンピックは、393年の競技を最後に異教徒のお祭りとしてローマ皇帝により廃止されてしまいます。その1500年後の1896年に近代オリンピックが開催されると共に復活しました。
わがまま放題のネロ皇帝の逸話が残っています。オリンピック好きのネロ皇帝は晩年ここに滞在し、オリンピックを観戦することが何よりの楽しみでした。65年に開催された第211回のオリンピックを自分のギリシア孝行の日のために遅らせたり、自分が参加できるように音楽競技や詩の競作を加えました。それによりいくつもの賞を取りご満悦だったようです。
オリンピアの活気を伝える遺跡を歩く
グラディオス川を渡った遺跡に入ると、体育館や各闘技場、宿泊施設など関連施設を取り囲むように関連施設跡が残っています。
また、聖域に祀られているのは、ゼウスとその妻ヘラです。ゼウス祭典の奉納試合で、勇敢な成人男性が自分とポリスの栄誉をかけて戦いました。
ゼウスの神殿
紀元前456年に完成した、エリスのリボンが造った長さ64m、幅28mの神殿。ドリス式の巨大な円柱が正面と後ろに6本、側面に13本建てられています。6世紀に起きた地震により、破壊されたままで、黒っぽい石灰石で作られているためか無残な姿に感じます。
本尊として祀られていたのは巨匠ファディアス作のゼウス像です。金と象牙で作られた像は高さ13.5mあり、これを見るためにわざわざ2階に回廊が造られたほど。頭にはオリーブの冠、左手には鷲をあしらった王の杖、右掌には勝利の女神ニケの像があり、かつての繁栄ぶりを表していました。現在は焼失してありません。
ヘラ神殿
紀元前600年頃に建造された最古のドリス式の神殿の一つ。初めはゼウスと共に祀られていました。
柱はそれぞれの形や太さが違っており、破壊と再建を繰り返した様子を見ることができます。太くずんぐりしており、エジプトやオリエント建築を思わせる風貌です。オリンピックの聖火の採火を行う場所としても有名です。
プリタニオン
紀元前338年に、マケドニア王フィリッポス2世が全ギリシアを統一した記念として建てられたものです。ゼウス大祭のときの迎賓館として主に使われました。オリンピックの優勝者はここに招かれ食事をしたと伝わっています。
パレストラ
オリンピア協議は5日間にかけて行われました。競技者は事前認定を受けるため、ギムナシオンかここでの合同練習が義務付けられていました。どちらもヘレニズム時代のものです。
フェイディアスの仕事場
1955~1958年にかけて発掘された遺跡群の中でも最も状態のよい遺跡です。唐草模様の柱は特に見応えがあります。ここでゼウスの巨像が造られました。ゼウスの神殿の内部と全く同じ造りで、同一方向を向いています。神殿と同じ状態を作ることによって、巨像のバランスや装飾効果、照明方法までを計算していたと考えられています。また、フェイディアスとは古代の大彫刻家だった人物です。
レオニデオン(宿泊所)
オリンピア遺跡で、最大といわれる長方形の宿泊施設跡。レオニダスという建築家によって紀元前4世紀に建てられました。中央には円形の水盤があり、広場があったことも想像されます。
スタジアム
入口の通路だったアーケードの一部が残っています。紀元前4世紀ごろに作られ、トラックは幅が30m、長さは192mで、初期は北にあるクロニオンの丘の斜面が観客席となっていました。ローマ期には南にも観客席が造られ、最大20万人を収容していました。ここの南側にはアルフィオス川の反乱で倒壊した競馬場もありました。
宝庫
ポリスや植民地がゼウス神に捧げた奉納品の宝庫です。ゼウス祭りの時は各使節団の宿泊施設となっていました。
他にも、70以上のゼウスの祭壇や選手全員が宣誓したブレウテリオン、イロド・アティコスが建設した給水施設のニンパイオンなど見どころがたくさんあります。広大な敷地に残る遺跡たちは、歴史ロマンを彷彿とさせています。
「オリンピアの考古遺跡」のまとめ
オリンピック開催時期はゼウスの祭壇には、競技で犠牲になった牛や豚が絶えることなく供えられました。その後供養として食べられたため、日頃高価で食べられないお肉もこの時ばかりはふんだんに振る舞われていたようです。
また、灼熱地獄の競技場には給水施設も完備されていました。幅40cmの水廊が設けられ、冷たい水が常時循環するような技術も備わっており、土木技術の高さも見ものです。
また、オリンピア考古学博物館も近くにあります。オリンピア遺跡内で発掘された品々が一堂に集められています。こちらも併せて訪れてみてください。