「オールド・ハバナ(ハバナ旧市街)とその要塞群」は、「カリブ海の真珠」と呼ばれるキューバの首都ハバナにある旧市街と、4つの要塞群(フエルサ要塞・モロ要塞・プンタ要塞・カバーニャ要塞)から成る世界遺産です。1982年に登録されました。
オールド・ハバナ(ハバナ旧市街)
オールド・ハバナ(ハバナ旧市街)はハバナ湾に面した地区のこと。1519年、スペイン人が建設を開始しました。
旧市街には17-18世紀のバロック様式、新古典主義、アメリカから伝わったモダニズム、さらにアールデコとさまざまな時代のきらびやかな建築群が立ち並び、大聖堂やガルシア・ロルカ劇場、旧国会議事堂などなど見どころがたくさんあます。
革命博物館
革命博物館は、オールド・ハバナの中心地にあり、正面の戦車が印象的な建物です。革命博物館は、1920年に大統領官邸として建造され、第3代大統領マリオ・ガルシア・メノカルから第14、17代大統領フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバルまでの大統領が官邸として使用していました
17世紀の石畳が敷き詰められたカテドラル広場に建つサン・クリストバル大聖堂は、1555年に創建されました。サンティアゴ・デ・クーバからハバナに首都を移した後ということもあり、創建当時からキューバ国内において多くの信仰を集める大聖堂となりました。
オールド・ハバナの中心にあるビエハ広場は、古い広場という意味で、16世紀後半に造られたハバナ創世記の広場です。ビエハ広場は、周囲をコロニアル様式の邸宅に囲まれており、20世紀初頭のアール・ヌーヴォーの装飾を施した建物などが見られ、広場中心にはイタリア人彫刻家ジョルジオ・マッサーリ作の像があります。
オールド・ハバナにあるカピトリオ(旧国会議事堂)は、白一色の外観とドームがひときわ目を引く建物です。カピトリオは、アメリカによる支配の真っただ中、1929年に建てられたため、アメリカ色の強い建造物となったのです。カピトリオは、幅208m、高さ98mの4階建てで、円形の柱廊の上にドームが乗せられ、外観は白一色。正面玄関の銅製の扉には、キューバの歴史を描いた30枚の浮彫が飾られています。
ガルシア・ロルカ劇場はカピトリオ(旧国会議事堂)のすぐ近くにあります。劇場名は、1930年にハバナを訪れたスペインの詩人で、劇作家でもあったガルシア・ロルカの名を冠しています。
ハバナのタクシー
アメリカに統治されている時に大量流入した1940年~1950年代のアメ車が今もタクシーとして使われています。
ハバナの要塞群
1492年キューバに最初に足を踏み入れたのはクリストファー・コロンブスでした。その後、1515年には、スペイン人はキューバに最初の居住区を設けたといわれています。
スペインの植民地貿易の中心として栄えたハバナは、砂糖、タバコを積んだスペインの船で港は賑わい、同時にハバナの街も巨万の富を生み出し、繁栄していきました。
ほどなく新大陸が生み出す富に気づいたイギリス、フランスなどその他のヨーロッパ諸国が、新大陸における植民地争いに加わります。それと同時に、一部の国に公認された多くの海賊も現れるようになりました。それらの外敵からの侵略から街を守るため、次々と建設されたのが、ハバナの要塞群でした。
フエルサ要塞
フエルサ要塞は、ハバナを守るために最初に築いた要塞です。1555年に着工し、1558年に完成したフエルサ要塞は、創建当初は木造でした。しかし、後にフランスの海賊に襲撃された際に焼失したため、サンゴ石を使用した強固な石造りの要塞へと再建され、周囲は堀で囲まれた珍しい造りとなりました。
1640年に完成したモロ要塞は、ハバナ湾やスペイン艦隊の防衛のために建設されました。対岸のプンタ要塞と向かい合うように立っているモロ要塞は、かつて、外敵が間近に迫ると両者は太い鉄の鎖を渡して敵の侵入を防いでいました。
イギリスによるハバナ占領を機に、陸路からの侵略に備えて建造されたのがカバーニャ要塞でした。当時のスペイン王カルロス3世の命により1763年に建設が開始されたカバーニャ要塞は、約10年の歳月をかけ、新大陸でスペイン人が建造した最大の要塞となりました。
プンタ要塞は、ハバナの街を守るためイタリアの軍事建築家ジョヴァンニ・アントネリが設計に携わり、1590年に建設が始まりました。完成したプンタ要塞には、対岸にあるモロ要塞との間に太い鉄の鎖が張られ、数々の敵国船や海賊船からハバナの街を守ってきました。
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