| 名称 | 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 |
|---|---|
| 国 |
日本 |
| 登録区分 | 世界文化遺産 |
| 登録年 |
言わずと知れた日本の名山、富士山は2013年に文化遺産に登録されました。登録名称は単なる富士山ではなく、『富士山‐信仰の対象と芸術の源泉』です。富士山を含め、この世界遺産には25の資産が含まれています。富士山は日本一高い山で標高は3776mあります。
信仰の対象としての富士山

富士山は、その圧倒的な存在感から畏敬の念をおこさせ、霊峰富士として古来から多様な信仰の対象して崇拝されてきました。
富士山は、麓から山頂にかけて3つの区分にわけられます。
「草山(くさやま)」という俗界、「木山(きやま)」は俗界から神の世界への過渡部分、すなわち森林の限界まで、「焼山(やきやま)」は山頂までの神仏世界で、死の世界と考えられていました。
富士信仰の歴史

9世紀(平安時代初期)には、富士山の噴火を鎮めるために浅間神社が建てられました。1982年(昭和57年)からは、現在の正式名称「富士山本宮浅間大社」となっています。これが、全国に約1,300社ある浅間神社の総本社です。浅間大神とコノハナサクヤビメを主祭神としており、頂上にあるのは奥宮といいます。
11世紀(平安時代後期)には、修験道の道場となりました。室町時代には村山口(大宮口)や吉田口などの登山道が開通し、より多くの人々が訪れるようになりました。この頃、「御師(おし)」や「坊(ぼう)」などが整備されたといいます。これらは、登拝前の神事を行い、登拝までの準備の世話をするところです。
これに伴って、室町時代末期には「富士講」が長谷川角行によって開かれ、江戸中期に最盛期を迎えます。講とは、同一の信仰を持ったものの集団です。数は少なくなりましたが、今でも独特の装いで富士山を登る人たちが見られます。
仏教と神道の混合となる神仏習合は、富士信仰の中にも起こりました。仏教においても、富士山の頂上は仏の世界であると考えられるようになったそうです。しかし、1868年の神仏分離令によって、仏像の取り壊しが進み、仏教的な名称は改称されました。
富士山に登ることは、現在でも私たち日本人の間では一種のステータスともいえます。それはきっと、古来からの富士信仰が、無意識のうちに私たちのDNAにまで刷り込まれているからかもしれません。富士山の息吹を、一度は自分の身に感じてみたいものです。
芸術の源泉としての富士山

富士山は、古くからの日本の芸術文化に必ずと言っていいほど題材として取り上げられています。
万葉集の頃から、和歌の歌枕として富士山が登場していました。新古今和歌集の中には、富士山の噴火を詠んだものがあるそうで、すでにこの頃から、火山活動が盛んであったことがわかります。
また、竹取物語では富士山が舞台になるエピソードがありますし、伊勢物語にも登場します。俳句では富士山が季語となっていますし、江戸時代以降には漢詩の題材にもなりました。近現代の文学作品にも、たびたび富士山が登場します。
絵画における富士山

芸術作品において、多くの富士山が登場するのは絵画です。最古のものは、1069年に秦致貞(はたのちてい)によって描かれた「聖徳太子絵伝」で、聖徳太子が黒い馬に乗って富士山を飛び越える様を描きました。当時は、噴火を繰り返すこの霊峰は、まだまだ人々にとっては畏怖の対象でした。
鎌倉時代になると、東海道の往来が増えたため、円錐形で頂に雪をかぶっているより現実の富士山らしいものが描かれるようになります。それから、富士信仰が徐々に浸透していくにつれ、富士曼荼羅図も多く描かれました。
富士講が庶民に絶大な人気を誇るようになった江戸時代、浮世絵にも富士山が現れます。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」、「東海道五拾三次」などが描かれ、浮世絵の輸出と共に、ヨーロッパに伝わりました。ゴッホやモネにも影響をおよぼしたそうです。
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2025年3月17日、静岡県議会は、富士山の登山者から一人あたり4000円の入山料を徴収する条例案を可決しました。この措置は、危険な弾丸登山を防ぐため、山小屋に宿泊しない登山者に対しては特定の時間帯の入山を制限する内容も含まれています。既に通行料の引き上げを決定している山梨県と足並みを揃える形となります。
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