モスタル旧市街の古い橋の地区
「モスタル旧市街の古い橋の地区」はボスニア・ヘルツェゴビナにある世界遺産で、その中心となる橋である「スタリ・モスト」は16世紀、オスマン帝国の時代につくられました。
スタリ・モストの歴史
スタリ・モストは、オスマン帝国に支配されていた時代の1566年に完成。当時、街の中心には、木製の吊り橋が架かっていましたが、地元の石灰岩を使いトルコ式アーチ型の石橋として架け替えられました。
石橋を建設したのは、ミマール・ハイルッディンで、イスタンブールにあるスレイマニエ・モスクなどを建設した帝国一の建築家ミマル・スィナンの弟子です。
ハイルッディンは、石橋が完成し、アーチを支える木組みをはずす朝、橋の近くに自分の墓穴を掘ったといわれています。これは、当時、橋の工事が失敗した場合、死罪になるのが「しきたり」でした。
そのため、もしもの時を考えたハイルッディンの責任の証だったのでしょう。橋の工事は、収入が良い仕事ではありましたが、同時に危険を背負った仕事でもあったのです。
モスタルの象徴でもあったスタリ・モストですが、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で破壊されてしまいます。1993年11月のことでした。クロアチア軍から放たれた一発のロケット弾が側壁に命中し崩落。モスタルの象徴であった橋は、あっという間になくなってしまったのです。
スタリ・モストの再建
1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結すると、1997年から橋の再建工事が始まりました。まずは、川底から破壊された橋の残材を集める作業を行い、その後、引き上げた残材を乾燥させる作業を行いました。
足りない石材は、創建当時と同じように地元の石灰岩が使用されました。再建には、ユネスコの支援を受けたトルコ企業が、創建当時の技法を使って行いました。
2004年6月23日、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の悲しみの象徴であったスタリ・モストは、再び、町の象徴として蘇りました。
そして、2005年ボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産として登録されました。スタリ・モストは、歴史的価値としてだけでなく、多民族・多文化の共生や和解の象徴として、世界中の人々の心に深く刻まれています。
町の若者たちには橋から川に飛び込むのが伝統になっています。川は非常に冷たく、かなり危険なので、最も上手で訓練を積んでいる潜り手だけが挑むことができます。飛び込み大会は毎年夏に開催されています。