メテオラはギリシャ北西部のテッサリア地方にあり、奇岩群とその上に建つメテオラ修道院群の総称です。奇岩群という地形と、ギリシア正教の修道院の文化的な価値を認められた、数少ない複合遺産です。
メテオラとは、ギリシャ語の「メテオロス=中空に浮かぶ」に由来しています。24の修道院のうち、6つは現在も修道院としての活動を続けています。
メテオラの歴史
メテオラの見どころは、なんといっても奇岩群と修道院です。
奇岩群
奇岩群は、6000万年前頃から海底に堆積した砂岩が隆起してできたものだと言われています。標高は20mから600mまでと様々で、平原に巨大な岩の柱が垂直に林立している様子は、非常に奇妙ですが圧倒的な存在感があります。
修道院
奇岩群の険しい地形は、修道士にとっては、俗世間との関わりを断って修行するのに最適な環境でした。そのため、9世紀には洞穴や岩の裂け目に住んでいる隠修士(隠者)がいたそうです。
14世紀は、エーゲ海のアトス半島にあるアトス山が東ローマ帝国における修道院の中心でした。しかしセルビア王国の侵攻により、多くの修道士は戦禍を避けてメテオラへやって来ます。この時に、アサナシオスによって救世主の変容(メタモルフォシス)修道院が創建されました。
アサナシオスの活動を受け継いだのが、セルビア王ドゥシャンの甥でもあるヨアサフで、彼は救世主の変容修道院長となり、主聖堂の再建など、修道院の整備を行いました。
1393年にオスマン朝がテッサリア地方を併合しますが、他宗教に寛容であったため、活動は保証されました。
1490年に、救世主の変容修道院がメテオラの全ての修道院を統括する存在となり、「大メテオロン」の異称が定着します。以後、他の修道院が建設されていきました。
1881年にテッサリア地方はギリシャ王国へと編入され、現在に至ります。
メテオラの修道院
現在も、幾つかのメテオラの修道院が活動を続けています。
大メテオロン修道院
メテオラ最大の修道院で、標高616mの岩の上に、14世紀半ばにアサナシオスによって創建されました。「救世主の変容(=メタモルフォシス)修道院」とも呼ばれます。
1387年に建立された、同名の主聖堂が併設されています。1483年から1552年にかけて作成されたフレスコ画やイコンがあり、ビザンティン美術の宝庫でもあります。食堂が現在は博物館として公開されています。
ヴァルラアム修道院
1541年に大メテオロン修道院の隣に建設されました。元々は14世紀にヴァルラアム隠修士の居所でしたが、修道士セオファニスとネクタリオス兄弟によって修道院となりました。内部にはクレタ派の画家フランゴス・カテラノスによるフレスコ画があります。
ルサス修道院
16世紀中頃に、救世主の変容を記念し、同時に聖女ヴァルヴァラに捧げて建設されました。現在の建物は1545年に造られたものです。垂直に切り立った岩の上に建っており、現在は女子修道院となっています。
聖ニコラオス・アナパフサス修道院
14世紀に聖ディオニシオスにより建設されました。クレタ派の壁画「最後の審判」が有名です。
聖ステファノス修道院
1192年には隠修士イェレミアスがいたとされていますが、1367年に共住の修道院として創建されました(現在は女子修道院)。主聖堂には聖ハラランボスの聖遺物が安置されています。
アギア・トリアダ修道院
1475年にドメティオスによって創建され、至聖三者(三位一体の神を示す)に捧げられています。完全な断崖絶壁に建てられており、1925年までは縄梯子か滑車付きの巻き上げ機しかありませんでした。
メテオラはその景観や価値から、観光地化が急速に進んでおり、世俗を避ける修道生活に適さなくなりつつあることから、他に移る修道士も増えているそうです。
初めにここを発見した人々は、それこそロッククライマーさながらに崖を登って行ったのでしょうか。
メテオラはアトス山に比べると外界に開かれており、見学も可能です。しかし服装など、肌の露出には注意が必要ですので、修道士・修道女の方々に敬意を払うことを忘れてはいけませんね。
この写真はとても綺麗です。