「マラッカ海峡の歴史的都市群:ムラカとジョージタウン」は2008年に登録されたマレーシアの世界遺産です。その名称の通り、ムラカ(マラッカ)とジョージタウンから構成されています。
ムラカ
ラカ(マラッカ)は、マレーシアの港湾都市の名前です。1511年、ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが征服し、東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点ポルトガル領マラッカとしました。
ポルトガル時代には要塞(サンチャゴ砦)やキリスト教会(セントポールチャーチ)が建設され、司令官が常駐していました。イエズス会のフランシスコ・ザビエルはここから東アジア布教に出発しています。
15世紀、イギリスの支配下にあったマレーシアで、中国から移住して来た人々は、貿易やプランテーションなどで富を築きました。それらの中国人男性は、現地のマレー系の女性と結婚することが多く、2つの文化を融合させた「プラナカン」という独特の文化が生み出されました。
ムラカ(マラッカ)のプラナカン文化
ニョニャクバヤ
プラナカンの男性は「ババ」、女性は「ニョニャ」と呼ばれ、豪華な「プラナカン屋敷」は、中国、マレーシア、西洋の家具や調度品が見事に調和したものでした。また「ニョニャクバヤ」と呼ばれる、女性の民族衣装は、中国のブラウスとマレーシアの巻きスカートを組み合わせたもので、繊細な中国の刺繍が施されました。
ニョニャ料理
プラナカン家庭で生まれた「ニョニャ料理」は、中国食材をココナツや香辛料で味付けされた、深い味わいを持つ料理で、現在も郷土料理として親しまれています。
ジョージタウン(宗教と文化の交流地)
18世紀、イギリスがペナン島に入植を始めて、最初に築いた街がジョージタウンです。18世紀後半には、当時のケダ州スルタンとイギリス東インド会社とで条約が交わされ、イギリスの植民地として譲渡されました。
ジョージタウンは、マラッカ、シンガポールなどとともに関税が免除されたので、各地から商人が多く集まり、多民族文化が形成されました。現在、1本の通りに、キリスト教のセント・ジョージ教会、イスラム教のカピタン・クリン・モスク、ヒンドゥー教のマハ・マリアマン寺院、中華系の氏族を祀った霊廟などが並んでいて、この街が異なった宗教や民族が共存する多民族社会であることを象徴しています。
ジョージ・タウン地区の人口は約40万人。近年は住宅・商店・ホテル・病院・官公庁などの都市基盤もしっかりしており、マレーシアでは首都クアラ・ルンプールに次ぐ第二の都市となっています。
セント・ジョージ教会(キリスト教)
カピタン・クリン・モスク(イスラム教)
マハ・マリアマン寺院(ヒンドゥー教)
また、植民地時代のコロニアル建築や、昔ながらの風情のある街並みなども残されていて、見どころが多い町です。