「エスファハーンのイマーム広場」は、1979年にイランの世界文化遺産として登録されました。
「エスファハーンのイマーム広場」目次
エスファハーンとは
エスファハーンは、イラン中部・イラン高原を潤すザーヤンデ川の中流にあり、イランで最も美しい都市と称される場所です。
1598年、サファヴィー朝アッバース1世が、エスファハーンを首都と定めたことにより発展していきます。
アッバース1世は、コーランに記された楽園を手本に、壮大な都市を建設し、その結果、エスファハーンは、「イランの真珠」と称されるほど美しい都市に発展していきました。
イマーム広場とは
エスファハーンの中心だったのがイマーム広場です。イマームとは、「シーア派の指導者」という意味で、1979年のイラン・イスラム革命後から「イマーム広場」と呼ばれるようになりました。それまでは、「王の広場」と呼ばれていました。
南北510m、東西160mの巨大な広場は、周囲を2層のアーケードに囲まれており、マスジェデ・イマームやアリー・カプー宮殿などがあります。また広場では、ペルシア起源のポロの競技や式典なども行われ、政治、社会、文化が密接に結び付く場所として重要な役割を果たしていました。
当時、イスラム教を国教としていたサファヴィー朝でしたが、絹を手に入れるために訪れるキリスト教徒を歓迎していました。そのため、エスファハーンの繁栄は、遠くヨーロッパまで知られることとなり、その繁栄ぶりに「エスファハーンを見ることは世界の半分を見ることだ」といわれるほどだったといいます。
マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー
イマーム広場東側にあるマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーは、アッバース1世の個人礼拝所として1601年に着工し、17年の歳月をかけ1618年に完成しました。そのため他のマスジェデ(モスク)とは違い、中庭やミナレットがありません。
マスジェデ・イマーム
マスジェデ・イマームは、エスファハーンを象徴するイマーム広場の南にあり、サファヴィー朝アッバース1世の命により1612年に着工し、1630年に完成しました。イスラム芸術の最高峰であると同時に寺院建築を極めたサファヴィー朝を代表する建築物と称されるマスジェデ・イマームは、巨大ドームと4つのミナレットが特徴的で、その名に相応しい造りとなっています。
アリー・カプー宮殿
アリー・カプー宮殿は、15世紀ティムール朝の時代に建てられた宮殿に、その後、アッバース1世が2層の建物を敷設したもので、イラン最古の高層建築です。
アリー・カプーとは、「アリーの扉」という意味で、シーア派が崇敬するアリー(ムハンマドのいとこで第4代カリフ)の遺物を納めた聖堂の扉を、アッバース1世が設けたことに由来しているといわれています。