「トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群」は、2013年カンボジア・プノンペンで行われた第37回世界遺産委員会においてイタリアの世界文化遺産として登録されました。
トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群とは
「トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群」は、イタリア・トスカーナ州フィレンツェ郊外に点在するメディチ家の12の邸宅と2つの庭園の計14件の資産で構成されています。
メディチ家は、トスカーナ大公国の君主としてフィレンツェを支配し、政治・経済を牽引しました。また、豊富な財力で、ルネッサンス文化・芸術を支援し、その庇護のもと、多くのルネサンス芸術家が才能を開花させていきました。フィレンツェの一族であったメディチ家ですが、芸術振興の支援を通して、フィレンツェのみならずイタリアひいてはヨーロッパ全体にも大きな影響を与えました。
「トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群」として登録された14件の資産は、周囲の自然と調和したイタリア・ルネサンス芸術の原型を残す最たるものです。自然環境と建築、庭園を調和させた最初の例であり、トスカーナ地方だけでなく、イタリアそしてヨーロッパ全土に広まった邸宅・庭園のモデルとして評価され、世界文化遺産に登録されました。
構成資産
邸宅
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロ
- ヴィッラ・メディチェア・ラ・ペトライア
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・チェッレート・グイディ
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・ポッジョ・インペリアーレ
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・カレッジ
- トレッビオ城
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・カファッジョーロ
- ヴィッラ・メディチェア・ア・フィエーゾレ
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・ポッジョ・ア・カイアーノ
- ヴィッラ・メディチェア・ラ・マジア
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・アルティミーノ
- ヴィッラ・メディチェア・ディ・セラヴェッツァ
庭園
ヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロ
Firenze, Villa medicea Di Castello pic.twitter.com/RqHASTwAc4
— Massimo Bernardini (@MaxBernardini) 2016年5月8日
ヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロは、造営は明確には不明ですが、1427年には既に存在しており、1477年メディチ家のピエールフランチェスコとロレンツォが購入し、住居としたといわれています。その後、1538年にコジモ1世が改装を命じ、1588~1593年にフェルディナンド1世の時代に、現在のような姿になりました。この邸宅は、メディチ家の所有する邸宅の中でも、最も古い邸宅のひとつです。
庭園は、コジモ1世時代に造園が始まりました。コジモ1世は、この庭園を黄色や赤、ピンクなどの色鮮やかな花々が咲き乱れる、地上の楽園「エデンの庭」にすべく情熱を注ぎ込んだといわれています。
ヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロは、現在ウフィツィ美術館に所蔵されているボッティチェリの傑作「春」と「ヴィーナスの誕生」が飾られていたことでも有名です。近くには、ヴィッラ・メディチェア・ラ・ペトライアもあり、メディチ家の栄華を肌で感じることができる場所として、人気の観光地です。
ヴィッラ・メディチェア・ラ・ペトライア
Firenze e dintorni: cominciamo dalla Villa Medicea La Petraia https://t.co/JhHUDmoCKr pic.twitter.com/ETzpa1oMjs
— girovagandoioete (@girovagandoiete) 2015年6月4日
ヴィッラ・メディチェア・ラ・ペトライアは、フィレンツェの中心部から北西へ約6kmの場所にあります。ヴィッラは、中世に城塞として建設されたもので、その後幾度か持ち主が変わり、1544年にコジモ・ディ・メディチ1世が購入しました。メディチ1世の息子フェルディナンド枢機卿がトスカーナ大公となった16世紀に大改築が行われ、中庭や塔が造成されました。
ヴィッラ内で最も美しい場所が、舞踏室(中庭)です。周囲の壁には、ヴォルテッラーノの「メディチ一族の栄華」が描かれており、メディチ家出身の法王やメディチ家一族の繁栄の歴史などを知ることができます。庭園には、バロックを代表する建築家ジャンボロールの作品「花の女神」の噴水があり、愛らしいその姿に多くの人々が魅了されています。
ヴィッラ・メディチェア・ラ・ペトライアの近くには、ヴィッラ・メディテェア・ディ・カステッロがあります。ペトライアとともに必ず訪れて頂きたい場所です。
ボーボリ庭園
ボーボリ庭園は、1982年に世界遺産に登録された「フィレンツェ歴史地区」の構成資産のひとつピッティ宮殿裏手に広がる庭園です。庭園は、トスカーナ大公コジモ・ディ・メディチ1世の妃エレオノーラ・ディ・トレドの命により、1550年に造営されたもので、設計はニッコロ・ベリーコリ(トリボロ)が手がけました。ボーボリ庭園は、自然と共生する宮殿建築の先駆けでもありました。それまでの概念とは異なった庭園は、イタリア庭園のモデルとなり、更にはヨーロッパの宮廷での造園・造営のモデルにもなりました。
プラトリーノ庭園
プラトリーノ庭園は、フィレンツェから北東へ約15km、アペニン山脈の麓にあります。プラトリーノ庭園で一番の見どころといえば、アペニンの巨人像です。この巨像は、アペニン山脈の擬人巨像で、高さが約10mあります。作者は、彫刻家ジャンボローニャで、1580年に製作されました。