マラケシュの旧市街



マラケシュはモロッコ中央部、サハラ砂漠西方に位置する都市で、マラケシュ自体は旧市街(メディナ)と新市街に分けられます。旧市街はイスラム支配下時代から続くもので、新市街はフランス人によって造られたものです。旧市街は1985年、世界遺産に登録されました。

マラケシュの歴史

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マラケシュとは、ベルベル語で「神の国」を意味しています。ベルベル語とは、古来より北アフリカを中心に住んでいたベルベル人の言葉で、マラケシュを支配したムラービト朝もベルベル人の流れを汲んでいます。

12世紀、ムラービト朝のユースフ・ブン・ターシュフィンによってマラケシュは整備され始め、モスクなども造営されました。1120年にクバ・アル・バディンの霊廟も建設されていましたが、次のムワッヒド朝により、ムラービト朝時代の建物はかなり壊されてしまったのです。前王朝の建造物を破壊して新たなものを造り直すのが、当時のイスラム王朝のやり方でした。

1147年、ムワッヒド朝の初代アブド=アル=ムーミニーンにより、クトゥビーヤ・モスクが建設されました。第3代ヤアクーブ・マンスールがミナレットを建て、それは今も旧市街のシンボルとなっています。

16世紀にはサアド朝の支配下となり、19世紀のアラウィー朝時代にはバイーヤ宮殿などが建てられました。

マラケシュ旧市街とは

マラケシュの旧市街 (4)

マラケシュ旧市街は、東西2㎞、南北3㎞の城壁に囲まれており、かつては北アフリカ最大のイスラム交易都市として、学問・政治・経済の中心として繁栄を誇りました。

ジャマエルフナ広場

photo credit: DSCF2123 via photopin (license)

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旧市街の中心にあり、アラビア語で「死人の集会所」という意味の名を持つ広場は、昔は公開処刑が行われた場所でした。

400m四方の広場には多くの屋台がひしめき合い、大道芸人がこぞって芸を披露しています。人々は活気にあふれており、この空間は「ジャマエルフナ広場の文化空間」として無形文化遺産に登録されています。

市場(スーク)

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四方八方に細い路地が広がり、様々なジャンルの店が軒を連ねています。どんどん伸びる路地を進んでいくと、あっという間に迷うので注意が必要です。

クトゥビーヤ・モスク

photo credit: Koutoubia via photopin (license)

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1147年に建てられたクトゥビーヤ・モスクには、69mのミナレット(小塔)が併設されています。旧市街のシンボルでもあるこのミナレットは、スペイン・セビリアのヒラルダの塔、モロッコ・ラバトのハサンの塔と並び、三大ミナレットのひとつに数えられています。

アグノウ門

photo credit: Bab Agnaou via photopin (license)

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旧市街の城壁に設置された巨大な門で、馬蹄形のアーチと赤い砂岩が特徴的です。コーランの一節が刻まれており、マラケシュで最も美しい門といわれています。

バイーヤ宮殿

白い壁とタイル張りの床や天井が美しい宮殿です。中央に王の宮殿があり、中庭を囲むように女性たちの部屋が配置されています。

ベン・ユーセフ・マドラサ

16世紀サアド朝時代に建設されたイスラム神学校です。アラブ・アンダルシア建築の傑作といわれています。

マラケシュ旧市街のお楽しみは、食と買い物ではないでしょうか。名物クスクスや、ジャマエルフナ広場のオレンジジュースなど、試してみたくなるものがたくさんありますよ。

 

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