ハンザ同盟都市リューベックは、バルト海に面した北ドイツの代表都市で、中世に栄えたハンザ同盟の盟主でした。
リューベックの歴史
リューベックは、1143年にホルシュタイン伯アドルフによって建設され、ザクセンのハインリヒ獅子公の保護を受けて発展し、1226年に神聖ローマ帝国に直接の忠誠を誓う帝国都市となりました。リューベックの商人たちはノルウェーに進出して商館を建設し、タラやニシンの交易で大きな利益を上げました。
しかし、大航海時代や宗教改革、1806年の神聖ローマ帝国の解体を経て、リューベックは周辺諸国の支配を受けるようになっていきます。1937年にナチス下でプロイセン州に併合されると、第2次大戦の後はイギリスの占領下に置かれました。東ドイツとの鉄のカーテンに近かったため、亡命者が多く流入しました。
現在はシューレスヴィヒ=ホルシュタイン州の一部となっています。
ハンザ同盟とは
ハンザ同盟は、中世後期から400年以上続いた都市同盟で、バルト海沿岸の交易を独占していました。ハンザとは古高ドイツ語で「団体」を意味し、各都市を交易して廻る商人の組合のことでした。中世ヨーロッパでは、周辺領主に対して有力都市が連合し、経済や政治・軍事的な連合として力を持ち、ハンザ同盟はこういった連合体のひとつだったのです。
大航海時代により商業圏が大西洋と北海へ移り、宗教改革により都市間の対立が起きると、ハンザ同盟は徐々に衰退していきます。17世紀の30年戦争の後に結ばれたヴェストファーレン条約で領邦国家が成立すると、そこにハンザ同盟の都市は吸収され、同盟は終焉を迎えました。
リューベック旧市街
リューベック旧市街は、トラヴェ川とトラヴェ運河に囲まれた島にあり、世界遺産に登録されています。その街並みの美しさから、「ハンザの女王」と呼ばれています。
ホルステン門
旧市街入口にあるホルステン門は、旧ドイツマルク紙幣の図柄にもなりました。門の上部のラテン語は、「内に結束を、外に平和を」という意味です。
市庁舎
マルクト広場に面するゴシック様式の市庁舎は、黒レンガと緑色の尖塔が特徴です。大きな丸い穴が開いている箇所がありますが、これは風を通すためです。16世紀に増築されたアーケード部分はルネサンス様式、議会ホールはゴシック様式、謁見の間はロココ様式と、多彩な建築様式が混在しています。
聖霊病院
ハンザ同盟で富を手にしたリューベック市民は、自分たちの手でドイツ初の福祉施設である「聖霊病院」を建てました。
また、ドイツの文豪トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」は、ここに住んでいた彼の一族をモデルにして書かれました。
船で運河を周遊するツアーもありますし、市庁舎を見学することもでき、たくさんの見どころがあります。市庁舎の黒レンガは、リューベック特有のものだそうですよ。