石見銀山遺跡とその文化的景観

「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、島根県大田市にあり、戦国後期から江戸前期にかけて最盛期を迎えた、日本最大の銀山です。現在は閉山しています。

2007年、世界遺産に認定されました。14もの構成資産があり、 「銀鉱山跡・鉱山町」、「街道」、「港と港町」に分けられます。

石見銀山遺跡とその文化的景観

銀鉱山跡・鉱山町

  • 銀山柵内
  • 代官所跡
  • 矢滝城跡
  • 矢筈城跡
  • 石見城跡
  • 重要伝統的建造物群保存地区に指定されている大森銀山
  • 宮ノ前地区
  • 熊谷家住宅
  • 羅漢寺五百羅漢

石見銀山街道

  • 鞆ケ浦道
  • 温泉津沖泊道

港と港町

  • 鞆ケ浦
  • 沖泊
  • 温泉津地区重要伝統的建造物群保存地区

石見銀山の歴史

photo credit: CIMG7853 via photopin (license)

石見銀山は、鎌倉時代末期に見つかったという伝説もありますが、正式な歴史は、1526年に博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)が発見したところから始まります。寿禎は大内氏の支援を受けて銀山を開発し、海外からの銀精錬技術「灰吹法(はいふきほう)」を導入しました。これによって銀を効率的に得られるようになり、日本の銀産出において多大な影響を与えました。

その後、毛利元就と尼子氏の間で争奪戦が繰り広げられ、結局は毛利氏が石見銀山を得ます。江戸時代になると幕府による開発が行われ、江戸時代前期には銀の産出がピークを迎えました。

銅も一緒に産出していましたが、元禄期を境に産出量が減少し、地震や銅価格の下落、坑内の環境の悪化により、1923年に休山となりました。

石見銀山遺跡の見どころ

銀山の坑内には、間歩(まぶ)という採掘のために掘られた坑道が残っています。いくつかは内部に入り見学することができます。その他、主な見どころをご紹介します。

大久保間歩

江戸幕府の勘定奉行だった大久保長安(おおくぼながやす)が、槍を持って馬に乗ったまま中に入っていったという言い伝えがあります。他の間歩よりもかなり大規模なものです。

釜屋間歩

photo credit: Kamaya Mabu via photopin (license)

大久保長安の部下安原伝兵衛が、夢のお告げにより発見したという場所です。伝兵衛は3600貫(約1.5t)を徳川家康に献上し、恩賞にあずかったそうです。

ここは露天掘の跡があることでも知られています。露天掘とは、坑道を掘らずに、地表から渦を巻くように掘っていくやり方です。

龍源寺間歩

1715年に掘られたもので、代官所直営の坑道で、長さは約600mあります。内部見学もできます。

熊谷家住宅

石見銀山で栄えた、最も有力な商家のひとつです。鉱山業の他に、代官所へ収める年貢銀の検査も請け負っていたそうです。当時の裕福な商家の生活を垣間見ることができます。

羅漢寺五百羅漢

photo credit: infiltrator via photopin (license)

銀山で働き、亡くなった人々を供養しようと作られた羅漢像を守るために、羅漢寺が建立されました。岩山に3つの石窟があり、そこに計501体の羅漢像が祀られています。

温泉津地区重要伝統的建造物群保存地区

日本海に面するリアス式海岸から谷筋に沿って造られた温泉津は、石見銀山と周辺地域の中心地として発展しました。かつて世界の3分の1の産出量を誇った石見の銀は、温泉津の町から石見銀山へ伸びる「銀山街道」を利用して温泉津まで運ばれました。運ばれた銀は、温泉津の沖泊や鞆ヶ浦などで積み込まれ、各地へ運ばれていきました。

間歩の中は圧倒的なスケールですので、ぜひここでは訪れてみてください。周辺にはレトロでおしゃれなカフェがたくさんあって、休憩には困りません。銀細工のお店もありますよ。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」の関連情報

ギャラリー

この世界遺産のデータ・地図(場所)

名称石見銀山遺跡とその文化的景観
日本
登録区分 世界文化遺産
登録年

2007年

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