平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-



平泉の文化遺産

2011年に世界遺産に登録された平泉の世界文化遺産は、正式には『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』と言います。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産で、東北地方では初の世界文化遺産となりました。

平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園及ぶ遺跡が、一群としてよく残っていて、その寺院や庭園は、この世に理想世界を創りだそうとしたもので、海外から影響を受けつつ日本で独自の発展えを遂げたものです。
平泉の世界文化遺産は、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5つの資産で構成されています。

中尊寺

中尊寺は17院によって構成される天台宗の一山寺院で、850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、1105年に造営に着手しました。多宝寺が建てられた後、大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。大長寿院は、高さ15mという大きな建物でしたが、その中には、高さ約9mの金色阿弥陀如来像が安置されていました。平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたと言われています。このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、1124年には金色堂を完成させました。

毛越寺(もうつうじ)

photo credit: 毛越寺 via photopin (license)

photo credit: 毛越寺 via photopin (license)

毛越寺は上記の中尊寺と同じく、850年、慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時に完成しました。当時は40以上のお堂や塔があり、お坊さんが生活する建物は500以上もあったそうで、「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と言われるほど立派なものでした。しかし、相次いだ火災で、当時の建物は残っていません。現存する常行堂も、江戸中期のものですが、遺跡が良好に保存されていることから、特別史跡に指定されています。

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観自在王院跡(かんじざいおういんあと)

平泉の世界文化遺産 観自在王院跡

©-写真素材サイト-きまぐれ歩き

毛越寺東隣の観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。敷地の北側には、大小2棟の阿弥陀堂が建っていました。その内壁には、石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、宇治平等院などの首都京都の霊地名所が描かれていたそうです。ここでは、毎年5/4に、『なき祭り』という珍しい祭りが行なわれます。

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無量光院跡

平泉の世界文化遺産 無量光院跡

©雪の風だより

藤原氏三代秀衡が建立した無量光院は、宇治平等院の鳳凰堂を模して、ひと回り大きく造られました。しかし現在は、建物は焼失し、礎石が残っているだけです。池跡は一段低くなっており、往時の状況を現代に伝えます。
お寺の正面に立つと、橋・中島・橋・本堂が一直線に並び、その先には金鶏山が望めます。

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金鶏山

金鶏山は、比高差60mほどの円錐形の優美な山です。平泉を訪れた松尾芭蕉も、「金鶏山のみ形を残す」と、その印象を述べています。山頂からは平泉すべてを見渡せることから、平泉の中心として意識されていたようです。 金鶏山には、秀衡が一晩で造った人工の山、雌雄一対の黄金の鶏が埋められているなどの伝説があります。これらの伝説は、山頂に営まれていた経塚から派生したものでしょう。経塚は、初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、最低9基は造られたようです。

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