姫路城

姫路城は兵庫県姫路市にあり、世界遺産の他にも国宝や重要文化財に指定されています。日本百名城のひとつであり、別名「白鷺城」と称される、日本を代表するお城です。

名前の由来としては、白漆喰で塗られた城壁や、白鷺が羽を広げたような形状に見える屋根などがそうであるとされていますが、諸説あります。

姫路城の歴史

姫路城は、1346年に赤松貞範によって建設されたという説が一般的です。以後、池田輝政、本多忠政、松平忠明、榊原忠次など何人もの城主がここを居城としました。

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、歴代城主によって城郭が拡張されました。江戸時代には姫路藩の藩庁が置かれ、外様大名の監視目的に西国探題が設置されます。

1869年、明治政府による版籍奉還の結果、国有となりました。ここにおいて、岡松氏から約530年(13氏48代)続いてきた大名支配が終焉を迎えたのです。

明治時代には陸軍の兵営となりますが、天守群や櫓などは国費で保存されました。昭和時代にも空襲をくぐり抜け、城としての姿を保ったまま現在に至ります。

2009~2015年に行われた平成の修理が完了すると、白漆喰の色が鮮やかによみがえりました。

姫路城の構造

姫路城は、外観の美しさもさることながら、構造にも多くの特徴があります。

連立式天守閣

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姫路城の天守閣は、5重6層の大天守と3つの小天守が渡櫓で連結しているのが特徴です。大天守は1609年に建てられたものです。

天守は姫山という標高45.6mの山の上に建てられており、石垣の高さが14.85m、建物自体の高さが31.5mであるため、高さは海抜92mとなります。

心柱は東西に計2本あり、その高さは24.6m、根元の直径が95㎝で末口は42㎝です。天守の総重量は5700tに及びます。

天守の建築様式は、後期望楼型と呼ばれる2重の入母屋造で、壁は白漆喰総塗籠(そうぬりごめ)です。漆喰を塗り込めることにより、防火や耐火機能の向上の他、鉄砲の弾からの防御にもなりました。屋根は唐破風(はふ)や千鳥破風が用いられており、その様式は様々です。

天守の下に岩盤があり井戸を掘ることができなかったため、天守と腰曲輪(くるわ)の間の補給の便を考慮して、水曲輪が造られました。水曲輪とは、水ノ一門から五門までの細長い区域のことです。この門を経由して、井戸の水が天守に運ばれるようになっていました。そのため、腰曲輪には、籠城に備えた井戸や蔵が設けられていました。

縄張

3重の螺旋式の縄張が大きな特徴です。城の北側を起点とし、左巻きに螺旋を描く総延長約12.5㎞の堀が城郭を守っていますが、この構造は姫路城と江戸城にしか見られないそうです。

内堀に囲まれた1周目の内曲輪には、天守や櫓、御殿がありました。次の中曲輪には武家屋敷、その次の外曲輪には城下町があり、これらすべてでひとつの大きな城郭都市を形成していたのです。内曲輪以内は23ha、外曲輪を含めると233haありました。

石垣

石垣は、増築などを行った時期などからおよそ5つの時期に分かれています。内曲輪にはおよそ10万t超の石が使われています。これらの石は、近隣の山々から採石したり、他の場所に使用されていたものを転用したりしていました。そのため、転用された石には元々使用されていた場所の刻印などが見られます。

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大天守には約7万5000枚の瓦が使われていることが、調査により判明しています。瓦には、建築時の城主の家紋が意匠として用いられており、池田・羽柴・本多などの瓦が多く見られます。

狭間(さま)

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狭間とは、城壁についている射撃用の窓で、総数は997に達します。矢狭間と鉄砲狭間があります。

天守同士をつなぐ渡櫓(わたりやぐら)の廊下には頑丈な扉が設けられていて、敵の侵入を防ぎ籠城するために適していました。

日本を代表する世界遺産でもありますね。以前よりぐっと白くなった姿は、今のうちに見ておくことを強くおすすめします!

「姫路城」の関連情報

この世界遺産のデータ・地図(場所)

名称姫路城
日本
登録区分 世界文化遺産
登録年

1993年

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