ファテープル・シークリーはインドのアーグラの南西37kmに位置している都市。ファテープル・シークリーは、「勝利の都」という意味を持ち、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルによって建設されたました。
ドームやパビリオンやアーケードなど、今も美しい姿を残す城として訪れる人が絶えない観光スポットとなっています。
1986年、インドの世界遺産に登録されました。
新都建設により建てられたファテープル・シークリー
子宝に恵まれなかったアクバルが、アラブ郊外のシークリーに住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーに「5年以内に3人の男児を授かる」と予言され実現しました。その翌年に妃が長男を、翌々年に次男、更に三男を身ごもったことへの感謝として、新都を築き遷都したといわれています。
デリーからアーグラに遷都を移しながらアーグラ城の完成を待たずに、さっさと新都城に遷都したのは、アーグラの暑さにアクバル帝は辟易していたからだともいわれています。
1573年アクバル帝は西インドのグジャラート地方征服を記念してつけました。ファテープル・シークリーは、3つの地区から構成されています。
表玄関
北東側のナウバット・ハーナをくぐると道の右手に造幣局、左手に国庫があり、正面には広い庭があります。中庭には、3方がアーケード式の回廊で囲まれた一般謁見場のティワーニ・アームがあります。
宮殿地区
表玄関の背後は宮殿地区になっています。ここには庭園と池を挟んで建つアクバル帝の寝室ハーブガーや、特別謁見の場のディワーニ・ハース、四方を見渡せる壁のないパンチ・マハル、後宮のジョード・バーイー、隊商宿舎のキャラバンサライなどがあります。
現在は石ばかりを見ているようで硬い印象ですが、当時は木製の家具や、布製の幔幕、絨毯、すだれやクッションなどが飾られ、ムガール朝祖先のモンゴル族のテント生活を思わせるようなスポットだったようです。
ディワーニ・ハース
1570年に建てられたディワーニ・ハースは変わった内装の部屋になっています。2階建てくらいの高さを持ち吹き抜けの間の真ん中に7mの巨大な石柱が一本作られ、その先端には独楽型の玉座がのっています。玉座から部屋の四隅に梁状の橋が水平に渡されているのがとても印象的です。また、この玉座と橋には多くの文様彫刻で埋め尽くされています。ここに来るとアクバル帝が議論に加わったり審判を下していた姿が、蘇るようです。
パンチ・マハル
パンチ・マハルは、全く壁がなく列柱と床だけの高楼となっています。かつては、石掘り透かし壁が付いた侍女たちの館でした。
5層の楼閣で、頂部にはドーム屋根のチャトリがあり、足元にはパチシ・コートと呼ばれる庭が広がっています。1階には列柱が84本あり上階に行くほど本数が少なくなっています。ここは宮殿地区で一番の見どころとなっており。2本として同じ柱がないところは特に必見です。
ジョード・バーイー宮殿
大きな後宮のジョード・バーイー宮殿は、妃の他に潘王家から嫁いできた大勢の妃が暮らしていました。中庭を囲んで各面の中央ホールが向かい合っています。インド風の列柱ホールで、深い庇を持つアクバル式が見られます。
モスク地区
壮大な庭を持つ巨大モスクのジャマー・マスジット、女性用モスクのナジナ・マスジットなどがあるモスク地区。東側にある王専用の入口にはテラスがあり、宮殿地区の眺めには目を見張るものがあります。
また、アクバル帝がグジャラート征服を記念して建てられた楼門のブランド・ダルワーザー、大理石造りの華麗なサリーム・チシュティーの霊廟もここにあります。
ジャマー・マスジド(金曜モスク)
ジャマー・マスジドでは、ヒンドゥー的要素も見ることができます。礼拝室は全て高価な赤砂岩で作られ、インドの伝統的な柱や梁の軸踏み、ペルシアアーチ構造が組み合わさってとても素敵な空間となっています。
赤砂岩の大門ブランド・ダルワーザーは、南に向けて大きなアーチ型となっていて大モスクにふさわしく勇壮な姿で圧巻です。
サリーム・チシュティー
また、サリーム・チシュティーの霊廟は絶対訪れたいスポットの一つ。白大理石の華麗な廊には子供を授かりたいという女性が詣でる巡礼の地となっています。飾り合祀に赤く細いひもを結び、祈願されているようです。
14年で見捨てられたファテープル・シークリー
皇帝は1571年から1585年の14年間住んだだけで帝都をラホール(現在のパキスタン領)に移してしまいました。その後この都は廃都となってしまいました。どうして、このお城が捨てられたのかについては確かな定説はありません。水不足のためにいられなくなったとの説が濃かったのですが、都市の西側には厚い塀で囲まれた人造の湖がありました。
もしかしたらこの皇帝は、建物に対して飽きっぽかっただけかもしれませんね。
ファテープル・シークリーのまとめ
14年で見捨てられた城は、戦火にさらされることもなく、一時代の建造物群が綺麗な形で残っています。赤砂岩でてきた丘の上の城から気品さえも感じられます。また、高台から見る景色も見る価値ありです。