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デルフィの考古遺跡



デルフィとはギリシア中部パルナッソス山麓にあったポリス(都市国家)のことです。紀元前8~前6年ごろは全世界の中心と呼ばれ、古くから予言の神アポロンが崇拝されています。かつては宗教の中心として栄え様々な宗教儀式が行われ、芸術やスポーツ競技の中心地でもありました。

古代デルフィの遺跡は1987年、「デルフィの考古遺跡」という名称でギリシャの世界遺産に登録されました。

神託を求めて人々が訪れたデルフィ遺跡

渓谷の急斜面にしがみつく様にして残る遺跡。紀元前12年ごろはアポロンが信託を授ける神となり、全盛期にはギリシア国内はもちろん黒海沿岸やイスパニア方面からも巡礼者が訪れ、アドリアヌス皇帝と共に繁栄しました。アポロンのお告げをもとに、国家の指導者も国の大事なことをこの地で決定していました。

紀元後、土砂が崩れ街のすべてが埋まってしまい、長い眠りに就きました。その後、発掘が始まったのは1829年のことでした。

この遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と都市遺構から構成されています。この遺跡を見ると古代の人々がどれほど神託の力を信じていたかが見えてきます。現代の文明の力を使っても巨大な石を使い建設するのが難しそうな渓谷の急斜面にしがみつくように建つ遺跡はとても印象的です。

渓谷の聖地に今も残る伝説

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この遺跡には数々の伝説が残されています。少しだけご紹介したいと思います。

最高神ゼウスによる創建

世界の中心を決めるためにゼウスが地平線の両端から2羽の鷲を放ちました。その鷲が出会ったのがデルフィで、ここが世界の中心とされました。

理性と共和を備えた尊敬すべきアポロン

もう一つは、理性と共和を備えた尊敬すべきアポロンの伝説です。ゼウスの子アポロンは、母レトの出産を妨げようとした大地の女神ガイアの息子で大蛇のピュートンを矢で殺しました。それまでこの地を治めていたガイアに代わりアポロンが信託を行うようになりました。紀元前1100年頃のギリシア人にとって大切な存在だったアポロンは、人々に尊敬され慕わる存在でした。

デルフィ遺跡の見どころ

昔、参道の両側には都市国家が信託のお礼として奉納した、宝庫や記念碑がずらりと並んでいました。現在はそのほとんどが台座の石だけになってしまいました。シキュオン、シフノス、テーベなどのポリスやエジプトのファラオまでもが多額の寄付をしたといわれています。

アポロン神に捧げる宝物でいっぱいだったこの頃の豪華な建物が聖道に沿ってずらりと並んでいます。このことからも、巫女から告げられるアポロンの神託を求めて多くの権力者たちが、先を争うように訪れていたことが伺えます。

参道のつきあたりの角には、浮彫が印象的な「へその石」の複製が置かれています。かつてアポロンが退治したピュートンをこの石の下に埋め、ピュティア祭という葬礼の祭典が行われていました。宝庫を見ながら参道を歩くと、その先には有名なアポロン神殿があります。

アポロン神殿

デルフィの考古遺跡

「汝自信を知れ」とかつての神殿の壁にはこう記されていました。その大きさは、縦60m、横24mもあり、現在は基壇と柱が残るのみですが、プレイストスの渓谷を背に聳え立つ姿は威厳に溢れています。

不揃いの6本の円柱が正面にあり、側面には15本の柱が並ぶドリス式の神殿です。紀元前6世紀ごろに造られたものは焼失し、現存するのは紀元前4世紀に建てられたものです。

神殿の中央には、祭壇がありアポロンの像が置かれていました。神殿の前にはヒオス人が奉納した大きな祭壇があります。ここはかつて神託を受ける時に生贄が捧げられたといわれています。

アテネの宝庫

紀元前5世紀のドリス式の宝庫。正面には2本の柱があり、その大きさは縦10m、横6mです。石を積み上げた土台だけが残る遺跡の中では、最も建物らしい遺構です。フランスの考古学会が1903年から3年かけて再建し、ほぼ当時の姿に復元されています。

南側の壁には、「マラトンの戦いでアテネがメディア人に勝った感謝のしるしとしてアポロンに捧ぐ」という内容のものが記されています。この建物はメディアからの戦利品の一部で造られたといわれています。

アテネ人の柱廊

photo credit: DCP_0965 via photopin (license)

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もともと7本の円柱によって木製の屋根が支えられていました。現在は3本の円柱が残るのみです。紀元前478年にサラミス島の海戦でギリシアがペルシアに圧勝した際の戦利品が並べられていました。

シフノス人の宝庫

金鉱の採堀で裕福だったシフノス島の人々により建てられた宝庫。

浮彫の美しいレリーフが施され、破風の部分には神域から鼎を盗もうとするヘラクレスとそれを取り返そうとするアポロンの姿が描かれています。正面には円柱の代わりにカリアティデスと呼ばれる少女の像が飾られています。頭に籠をのせ、髪の毛や耳の下穴にはかつて金属製の装飾品が付けられていたようです。(破風と少女の像は現在博物館の第5室に展示されています。)

古代劇場

デルフィの考古遺跡

神殿北側の丘の上に天然の岩山を削って造られたのが円形劇場です。これは、紀元前4世紀に造られたものですが、2世紀後にローマ人によって復元されています。

保存状態はかなり良好で、古代の原形がほぼそのままの姿で残り、35段の大理石の階段席から眺めるデルフィの聖域は神秘的な光景です。かつてピュティア祭の演劇や演奏会が行われ、5000人もの人々が訪れていました。現在も夏には公演が行われています。

競技場

photo credit: Delphi (III) via photopin (license)

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古代劇場の左手奥には、大きな競技場跡が広がっています。ここに着くまでにはかなり急な坂があり、そこから見る競技場の廃墟美と雄大な山野の景観の美しさを見ることができます。スタートとゴールの石板が残るトラックの他、格闘技用の建物や控え室、浴場などもありました。

カスタリアの泉

photo credit: IMG_6144.JPG via photopin (license)

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巫女や神託を聞きに来た人々が最初に訪れ、身を清めた場所です。この泉の名前の由来は、アポロンが一目惚れしたニンフのカスタリアが追いかけるアポロンから身を隠したことに由来しています。

人々がみそぎを行った石組みの遺構が残されています。今も湧き続ける天然の清め泉は、現在聖域を訪れる人々の喉を潤す水となっています。ギリシアに来たことを感じられるので、飲んでみてくださいね。

アテナ・ブロナイアの神域

世界遺産 デルフィの考古遺跡聖域からカスタリアナの泉を下って行くと、オリーブの木々に囲まれた3本の柱が目印の遺跡が見えます。かつては15本の円柱が取り囲む直系8.6mのトロスで、マルマリア(大理石)と呼ばれていました。現在も謎に包まれた遺跡で、造られた年代、目的、用途についても不明です。

因みにブロナイアとは前に位置する神殿という意味を持ち、デルフィへ訪れると一番に見えることからこの名前で呼ばれているようです。ここは比較的観光客も少ないため、静寂に包まれゆっくりと遺跡見学ができます。

その他

他にも、ガイア神託を見守ってきたとされる大理石のナクソス人のスフィンクス(博物館の第5室)や、オリンピック同様に4年に一度行われていた祭典の評議員が集まったブレフテリオン、迎賓館などもあったようです。古代ギリシアにタイムスリップしたような気分で、当時の様子を思い起こしてみてくださいね。

デルフィ遺跡のまとめ

デルフィの考古遺跡

アーモンドの大木の下に広がるオリーブの海を見ながら遺跡を散策してみてはいかがでしょう。山々の峰の隙間からイテア湾の海が真珠のように煌めく姿もちょっとだけ見えます。絶景と岩山の赤茶けた肌からは、優雅さと自然の厳しさを感じられます。

様々な伝説と復元しきれないほどの時の流れと人々の運命が交錯する遺跡へ、ぜひ、訪れてみてくださいね。

 

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