薬師寺
(古都奈良の文化財)
薬師寺は奈良県奈良市にあり、古都奈良の文化財のひとつとして世界遺産に登録されました。同じく世界遺産の興福寺と共に、法相宗の大本山でもあります。
薬師寺創設とその歴史
薬師寺は、680年に、天武天皇が皇后・鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気回復を祈って建立に取り掛かりました。しかし完成を見ることなく天皇は686年に没し、後を継いだ持統天皇とその後の文武天皇に伽藍の建築・整備が受け継がれることになります。
710年(和銅3年)、平城京遷都に伴って、薬師寺も移転しました。飛鳥に残った本薬師寺はしばらくの間は存続していたそうですが、やがて廃寺となります。
その後、火災や戦で伽藍が焼失する憂き目に遭い、奈良時代からの建築物は、東塔を残すのみとなってしまいます。
20世紀になると復興事業が進められ、伽藍が再建されました。
薬師寺の伽藍
伽藍の主な建築物をご紹介します。
東塔
多くのものは焼失し再建されていますが、この東塔だけは唯一奈良時代からのものです。高さは34.1mあり、一見すると六重塔のような外観ですが、実際は三重塔です。各層に裳階(もこし)というもうひとつの屋根が設けられているため、六重に見えるのです。相輪(そうりん)という塔の上層部には、水煙(すいえん)が祀られていて、その繊細な意匠が特徴です。水煙には、火事を避ける意味が込められているそうです。
金堂
金堂自体は1976年(昭和51年)に再建されたものです。本尊は薬師三尊像で、飛鳥時代後期から奈良時代の作と伝えられています。薬師如来の両脇に日光菩薩と月光菩薩が控えており、中国の六朝時代や唐代に加え、日本独自の様式が加わった、同時代のものでは最高レベルのものだと言われています。
東院堂
1733年(享保18年)に改修されたものです。元明天皇の皇女・吉備内親王が、天皇の冥福を祈るために建立しました。本尊の聖観世音菩薩立像は飛鳥時代後期から奈良時代の作品で、彫刻にはインドの影響も見受けられます。非常に美しい仏像として有名です。
薬師寺は、玄奘(三蔵法師)ゆかりの寺でもあります。法相宗は玄奘の教えの流れを汲んでおり、彼の頂骨を分骨され、玄奘三蔵院伽藍を1991年(平成3年)に建立しました。1年に期間限定で公開されるので、ぜひ訪れてみては?
「薬師寺」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 古都奈良の文化財 |
名称 | 薬師寺 |