至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)

ロシアの「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に含まれる至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)は、ワシリー・スタソフの設計により、帝政様式末期のスタイルで建設されています。

至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)とは?

ロシアでは伝統的に帝国の連隊はそれぞれに大聖堂を持っていました。至聖三者大聖堂は、イズマイロフスキー連隊の教会でした。1733年7月12日、イコンを描いたダークブルーサテンの大きな野外テントが、サンクトペテルブルクに教会として出現しました。しかし、この教会は夏の間だけのもので、冬には兵士も将校も他の教区の教会へ出かけていかなければなりませんでした。

1754年から1756年にかけて、女帝エリザヴェータ(1709-62)の命により、木造の教会が建てられました。この教会は二つの祭壇を持ち、主なものが三位一体にちなんで至聖三者(ロシア語でトロイツキー)と名づけられました。しかし、1824年の洪水により大きな被害を受け、皇帝ニコライ1世(1796-1855)は再建を命じます。

新しい教会の建設は1828年5月に始まり、1835年の5月に完成しました。80m以上の高さのある大聖堂は、サンクトペテルブルクの風景を圧倒するものでした。戦死した連隊将校のメモリアルプレートが大聖堂の壁に掲げられました。

その後、1854-55、1877-78の戦役で獲得した旗、砦の鍵、数々のトロフィーも大聖堂に納められました。ロシアがブルガリアをオスマントルコの支配から解放したラッソ・トルコの戦争(1877–1878)の勝利を記念したコラムは、1886年に大聖堂の北正面に作られました。

至聖三者大聖堂はそのイコンによっても有名でした。主要部にはイエス降誕のイコンを、南のセクションにはイエス・キリストのイコンを納める間がありました。女帝エリザヴェータは1742年に三位一体のイコンを教会に贈りました。大聖堂はこれ以外にも数々の聖遺物を収蔵していました。

ロシア革命後の1922年、大聖堂の貴重な宝物は略奪され、1938年に大聖堂が閉鎖されるまで略奪は続きました。大聖堂を破壊して、その材料を地区労働者の劇場のために使うという計画もありました。しかし、大聖堂の建物はソ連テレコミュニケーション省に渡り、倉庫として使われました。

1990年、大聖堂はロシア正教会の手に戻り、修復が始まりました。しかし、革命前の姿からすれば、内部は裸同然でした。

至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)の火災

2006年、修復中の足場から出火し、中央ドームとそれを囲んでいる四つのキューポラのうちのひとつが崩壊する火災にみまわれました。幸いにも最も貴重なイコンと多くの宝物は被災を免れました。2010年に修復が完了し、再びオープンしています。

「至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)」のデータ

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国名 ロシア
世界遺産名サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群
名称 至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)
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