パッサージュ百貨店



ロシアの世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に含まれるパッサージュ(フランス語で”通路”を意味します)百貨店は、ネフスキー通りにある160年以上の伝統を誇る高級百貨店。また長年に渡って演劇芸術とも関連があり、今もコミサルジェスカヤ・シアターの本拠地です。

パッサージュの建設

この地域一帯では、18世紀初頭から商取引がおこなわれ、さまざまな店が立ち並んでいました。1846年、ここにロシア貴族と上層階級のための高級ショッピングモールが建設されることになりました。ショッピングモールはアーチ状のガラスと鋼の屋根で覆われ、世界でも最も初期のショッピングモールのひとつとされています。

パッサージュの三階建ての建物は1848年5月9日の創業。ガス灯と地下フロアはロシアで初めてのものでした。電気が導入されたのは1900年のことです。店は宝石、服飾などの贅沢品を扱い、それを買い求める高貴な人々を見るため、普通の人たちが群がりました。群集を整理するために50コペイカの入場料を取ったといいます。

文化的、社会的センターとしての役割

サンクトペテルブルクの人々にとって、パッサージュは単なるショッピングセンター以上のもの、文化的、社会的センターとしての役割も果たしました。建物には喫茶店、菓子屋、展望施設に加え、解剖学的博物館、蝋人形館、動物園までありました。この様子はドストエフスキーの小説に描かれています。コンサートホールでは、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、シェフチェンコなどが読書会を催しました。

1898年の火事の後修復され、建物の表面は砂岩で覆われました。1908年には首都で最も大きな映画館がこの総合ビルでオープンしました。

ソビエトの取引の宮殿

1917年のロシア革命後、数年間の混乱のあと、パッサージュは1922年にスーパーマーケットとして開かれました。1933年、当局がここを「モデル百貨店」に決定。レニングラード(サンクトペテルブルク)で唯一のものでしたし、ソ連国内においてもわずかに三つしかありませんでした。「ソビエトの取引の宮殿」として1934年にオープンし、ソ連で生産された3万点以上の品々が並びました。

第二次世界大戦の開戦当時までパッサージュはソ連の産業のショーケースでした。レニングラード包囲戦の間、店は閉められました。しかし、大多数の従業員は日夜、残ることを選択。建物のガラスの屋根は集中的な砲撃を受けましたが、内部はほとんど損害を受けませんでした。戦後、1947年には商取引を再開し、1961年以降は女性のための商品を専門に扱う店として続いてきました。

現在のパッサージュ

現在のパッサージュは従業員と株主によって所有されています。現代の国際基準を満たすために改修され、地階にはロシア初の高級食材の売り場ができ、上部には新しい展望レストランも開店しています。

ロシアの世界遺産 サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

 

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