ストルツェンフェルス城
ライン渓谷中流上部

ライン川クルーズで最後に見えてくるお城です。13世紀に建てられた城の基礎の上に建つ、イギリス風後期ロマン主義様式の代表格の美しいお城です。

現在内部は博物館として公開され、7つの部屋には高価なアンティークの調度品や華やかな内装は見る価値ありです。

ストルツェンフェルス城のはじまり

ネズミ城と同じくトゥーリア大司教座の命により、関税徴収用の城塞として建てられたお城です。1250年頃に五角形の塔が、1370年には住居用の塔が建てられたといわれています。

1689年にプファルツ継承戦争でフランス軍がコブレンツ占領を失敗して終焉を迎えた時にこの城を焼き払い廃墟となっています。その後、採石城となった城は、1802年にコブレンツ市の所有となりました。

生まれ変わったストルツェンフェルス城

1815年にライン川を訪れた、プロイセンの皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルムが、中流域の景観をとても気に入り再開発を計画しました。

これにより、1823年にコブレンツ市は皇太子へ城跡を献上しました。(これはラインラント地方のプロセインへのご機嫌取りとの政治的目的だったとの説も。)ストルツェンフェルス城は1836~1842年に、新古典主義の建築家カール・フリードリヒ・シンケルの設計の基に再建されています。

1942年9月14日に本館が完成したことにより落成式が行われました。1847年にプロイセン・ライン・ロマン混合様式の城が最終完成しています。

博物館となったストルツェンフェルス城の見どころ

このお城の内部は14~19世紀の装飾で、特に「騎士の間」が見どころとなっています。

黄土色の外観と平屋根、パーゴラ、テラスが素敵なお城は、少し陽気なイタリア風の雰囲気を感じます。内部に配された高価な調度品は、一部当時の物で魅力的です。

騎士の小広間と呼ばれる部屋は、中世の住居塔にあり、当時は応接室として使用されていました。壁にあるフレスコ画で描かれた、ドイツ帝国の中世史も見どころのひとつです。

ストルツェンフェルス城のまとめ

かつての国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の居住用として建てられたお城です。王様の城として建てられた城ならではの豪華な内装は、他の城よりかなり魅力的に造られています。

名前も「Schloss Stolzenfels」とされ、Schloss =宮殿、王宮、豪華な居城として扱われているのもこの城の特徴です。(Burgという城、城塞、要塞とのくくりではない)黄土色のカラフルな古城は改装時のものと思われがちですが、中世当時のものを忠実に再現しています。

「ストルツェンフェルス城」のデータ

国名 ドイツ
世界遺産名ライン渓谷中流上部
名称ストルツェンフェルス城

 

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