聖オーガスティン修道院
(カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン修道院及び聖マーティン教会)
カンタベリーのシンボルであるカンタベリー大聖堂から徒歩で約5分にある、もう一つの世界遺産として有名な聖オーガスティン修道院。6世紀にローマ教皇のグレゴリウス1世からキリスト教布教のために派遣された、アウグティヌスによって建てられました。カトリック教会最古の修道会のベネディクト会修道院でしたが、現在はほとんどが廃墟となっています。
イギリスのキリスト教の礎となった聖オーガスティン修道院の歴史
アウグスティヌスが到着した597年ごろのカンタベリーはアングロ・サクソン七王国の一つのケント王国でした。当時サクソン人の教会が3つ(聖パンクラティウス、聖ペトロと聖パウロ、聖母マリア)ありましたが、ケント王国のエゼルベルト王はカンタベリーの市壁のすぐ外に教会建築を許可しました。3つの中の1つは聖パンクラティウス教会、後の2つはノルマン人によって1つに統合されています。アウグスティヌス修道院は聖ペテロと聖パウロに捧げるため602年に新たに創建されました。この修道院創建の主な目的は歴代ケント王やカンタベリー大司教たちを埋葬するためです。
アウグスティヌスは598年に初代カンタベリーの大司教に任命されています。当初は独自の宗教が普及しておりカトリックを広めるのにはかなり苦労したようです。聖アウグスティヌスは604年5月26日か605年に亡くなりこの地に眠っています。
978年にはより大きな建物が建てられています。その後1100年までにロマネスク様式の大きな教会が新たに建てられ1154年には施設分配所が増築されました。特に1250年ごろからは再び増改修が行われ、回廊、階食堂、厨房、大きな公社が増築され、この頃大会堂を作るために敷地も拡張されています。
1309年に銃眼のある新しい大門が建設されています。これが現在残存するフィンドン・ゲートです。また、これにより中庭が作られ、農場や醸造所、製パン所、ブドウ園、菜園などどんどん敷地が拡張されています。1390年には守衛小屋(残存)が建造され、最後に建設されたのが付属教会東側の聖母の礼拝堂でした。
1535年にヘンリー8世が年収£100未満の修道院の解散を命じます。£1733あったので免れましたが、1538年7月30日の修道院解散令により、閉鎖されました。
フランスのカレー要塞となった聖オーガスティン修道院
聖オーガスティン修道院は閉鎖より15年かけて解体され、ヘンリー8世の4番目の妃であるアン・オブ・クレーヴズのための宮殿へと造りかえられました。その後貴族たちに貸し出され、1703年の大嵐の時に破損し廃墟となったようです。現在はイングリッシュ・ヘリテッジが管理しています。
かつて栄えた聖オーガスティン修道院
カンタベリー大聖堂の東側の広範囲に広がるこの修道院は敷地面積約8.42haあるといわれています。とても古く貴重な遺跡で、修道院は石造りの基礎のみを残しています。修道院の敷地内には聖アウグスティヌスの墓もあり、イギリスを代表する修道院としての風格を感じることができます。
また、入口にあるビジターセンターではこの地で発掘された物が展示され、サクソン人やノルマン人、修道院の歴史を知ることができます。日本語の無料音声ガイドがあり、発掘品などの説明はもちろん遺跡についての説明も詳しくされています。散策道が綺麗に整備され芝生の緑も美しく心地よい空間です。
まとめ
眺望豊かな小高い丘があり大聖堂も望め記念撮影スポットとなっています。
聖オーガスティン修道院跡は広い敷地に廃墟があるだけですが、美しくかつての姿を偲ぶことができます。カンタベリーの歴史と古城や廃墟に興味のある方は、ぜひ訪れてみてください。
「聖オーガスティン修道院」のデータ
国名 | イギリス |
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世界遺産名 | カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン修道院及び聖マーティン教会 |
名称 | 聖オーガスティン修道院 |