松下村塾
(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台でもある山口県萩市。工学教育論を提唱した吉田松陰の松下村塾が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして2015年世界遺産に登録されました。
吉田松陰と松下村塾
松下村塾は、長州藩の兵学者だった吉田松陰が1857(安政4)年から1858(安政5)に主宰した私塾です。吉田松陰は、萩藩士杉百合之助の次男として生まれ、その後伯父の吉田大助の養子となります。大助の死後、叔父玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受け、才能を開花させ、萩の藩校明倫館で兵学を教えることとなりました。
1854年、松陰は黒船に乗り込み密航を企てますが失敗、囚われの身となります。その後、実家での謹慎を言い渡された松陰は、文之進から受け継いだ松下村塾で、1856年から親類や近所の若者に対して教鞭を取ることになります。松陰の周りには、人がどんどん集まったため、実家の小屋を修理し塾舎として開放することになりました。
松下村塾は、当時の地域社会における人材育成の場でした。松陰は早くから工学教育の重要性を提唱し、工学の教育施設を設立。自分たちの力で産業近代化を実現しようと説きました。しかし、1858年松陰が幕府政治を批判した罪により野山獄に幽閉されると塾は閉鎖されてしまいました。
身分に関係なく学ぶ事ができた松下村塾には、四天王と呼ばれた高杉晋作や久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、明治維新後の日本の中心を成す伊藤博文、山縣有朋らを輩出しています。また、獨逸学協会学校(のちの獨協学園)などを創立した品川弥二郎、官営長崎造船局(現在の三菱重工長崎造船所)の初代所長 渡辺蒿蔵なども松下村塾の塾生です。
松下村塾で、松陰の教えを受けた塾生の多くが、幕末やその後の日本の近代化・産業化の過程で重要な役割を担いました。松下村塾は、日本の近代化の出発点ともいえる重要な場所です。
「松下村塾」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 |
名称 | 松下村塾 |