山海関
(万里の長城)
司馬遷の「史記」に長さを「万里余(ばんりよ)」と記されたことに由来する万里の長城。世界遺産を代表する巨大建造物としても有名な万里の長城は、1987年に世界遺産に登録されました。
万里の長城の歴史
長城建設が始まったのは、紀元前7世紀後半と言われています。古代中国では、外敵や北方民族の侵入に備え、国境防衛のため次々と城壁が諸国によって個別に築かれました。そして個別の城壁を統一させたのが、秦の始皇帝で、それが現在の「万里の長城」の原型と言われています。
万里の長城は、現存している部分でも3,000km、消滅した部分も含めると総延長は21,000kmにも達すると考えられています。中国を貫くように建設されている万里の長城は、まるで一匹の巨大な龍がうねりをあげているかのような壮大なものです。
山海関(さんかいかん)とは
万里の長城の東端に位置する山海関は、秦皇島(しんこうとう)市から約15kmの場所にあります。北は、燕山、南に渤海があり、山と海に挟まれていることから「山海関」と言われるようになりました。山海関は、明の洪武帝の時代、1382年に建造された正方形の城塞で、東西南北それぞれに城門が設けられています。
山海関の一番の見どころは、「老龍頭(ろうりゅうとう)」。渤海に突き出た部分が、龍の頭に似ていることから呼ばれています。
孟姜女廟
山海関の近くには、孟姜女廟(もうきょうじょびょう)という悲しい伝説が残る場所があります。孟姜女は秦代の人で、当時、夫が長城建設のため駆り出されていました。夫の身を案じた孟姜女は、夫のもとへ歩いて何千里もの山を越え冬の衣服を届けに行きます。しかし、孟姜女が到着する前に、夫は過酷な労働のせいで亡くなってしまいます。
悲しみに打ちひしがれた彼女が泣いていると、長城の一部が崩れ埋められていた夫の遺骸が出てきたのです。そして、孟姜女は、夫の遺骸を胸に抱き、海へ身を投げました。その後、その地に彼女を祀るために建てられたのが孟姜女廟と言われています。
山海関周辺には、老龍頭、孟姜女廟の他に長寿山、燕塞湖など有名観光地があります。山海関を訪れる際は、周辺の観光地まで足を延ばされることをオススメします。
「山海関」のデータ
国名 | 中国 |
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世界遺産名 | 万里の長城 |
名称 | 山海関 |