歴史的瞬間がここに!その事実を静かに語る世界遺産5選
バーミヤン渓谷と文化的景観と古代の遺跡群(アフガニスタン)
1世紀初頭に栄えたグプタ朝のインド美術や、3世紀から7世紀に栄えたサーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画などが描かれており、長年その美しさを受け継いできましたが、1979年のアフガン紛争によって大きな被害を受け、さらに2001年には当時の政権によって徹底的に破壊され、遺跡の実に8割以上が失われました。そのため2003年からは危機遺産として登録されています。
モスタル旧市街の古い橋の地区(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
1992年のボスニア・ヘルツェゴビナ独立に伴い起きたボスニア紛争は、死者・負傷者合わせて約230万人もの犠牲者をだし1995年に終戦しました。第二次世界大戦以後でヨーロッパで起こった紛争としては最悪のものになります。この町にあるスタリ・モスト(古い橋)は一度はこの戦争で破壊されましたが、この戦争の悲劇を語り継ぐ平和の象徴として2004年に復興されました。
ポトシ市街(ボリビア)
16世紀に鉱山町として開かれ、当時としては世界最大の銀鉱脈や、後の19世紀には錫の採掘も行われ栄えました。しかしそれらの資源が枯渇し始め、今ではすっかりと廃れてしまいました。採掘の労働力として奴隷が多く連れてこられ、奴隷制度の象徴の一つとして負の世界遺産の数えられています。
ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域(イタリア)
79年にすぐ近くにたたずむヴェスヴィオ山が噴火を起こし、それにより発生した火砕流によって一夜にしてポンペイの町は灰の中に埋まってしまいました。18世紀に入って遺跡の発掘が始められ、古代ローマ時代のポンペイの生活を知るための貴重な出土品が多く、その保存状態も非常に良いことで知られています。
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明治日本の産業革命遺産群 長崎 ジャイアント・カンチレバークレーン(日本)
1909年に建造され、同型のクレーンは世界で48基造られ、その数だけでも希少ですがこのクレーンは現在でも稼働していることからその希少価値はさらに高いものになっています。1945年には長崎で炸裂した原子爆弾によって被害を受けましたが、軽傷で済み、その姿を今に伝えます。