人類が築いた至高の美!造形美あふれる世界遺産5選
サマルカンド-文化交差路
文化の融合点として文化交差路の名が付いたこのカマルサンドはその名のとおり多種多様な文化が根付いており、澄み渡る青空とモスクの青色との壮観から「青の都」とも呼ばれています。また14世紀から15世紀にかけてはティムール朝においての首都として繁栄した歴史があります。しかしその後は20世紀初頭まで抗争や侵攻などで荒廃が進み他の国に占領をされていました。
この遺跡の象徴とも言える青色のドームはかつてこの地を統治したティムール及びその家族の霊廟で、ドームの形式はイスラムの伝統的な建築形式が取り入れられ、栄えある青色はサマルカンド・ブルーと呼ばれており中国とペルシアの工芸技術の融合によって生み出されました。
各地から様々な技術も持ち込まれ特に天文技術に関しては積極的に取り入られており遺跡には天文台の跡地も残されています。
タリン歴史地区
現在のデンマーク人の起源となるデーン人によって建設されました。中世期後期には商業においてハンザ同盟における中心的な交易都市として繁栄。その後はドイツやスウェーデン、ロシアと幾度も戦火に巻き込まれその支配下に置かれましたが1991年にバルト三国のうちの一つエストニアとして独立を果たしました。
トームペア城
街の建造物は様々な施設に利用されておりその中でもドイツ騎士団によって13世紀に建設が開始され改修繰り返された後18世紀末に現在のピンク色を基調とした外観のトームペア城はエストニア国会議事堂として今なお使用されています。美しい中世の街並みは絵本の世界そのものでまるでその世界に入り込んだかのような錯覚に陥ってしまいます。
ファテープル・シークリー
ムガル帝国の第3代皇帝アクバルが自身の後継である息子のサリームを授かった記念として建設された都市で、もともとの首都であるアーグラからこの場所に遷都しました。しかしこの地方での慢性的な水不足や強烈な猛暑のためわずかその期間は14年間と極めて短く、放棄されたその後は廃墟の一途を辿りました。
この都市を構成する主な物件には宮廷とモスクの区域があり宮廷ではシンプルかつシンメトリックで、特徴的な4つの塔を持つディーワーネ・ハースが、モスクでは壮麗門と称されるブランド・ダルワーザーが特に有名。特にこの門においてはムガル帝国が地方都市の征服を完了し記念した凱旋門的な性質を持っています。
地区に存在する建造物はその多くが赤砂岩や白大理石で造られておりその中に織り交ぜられた幾何学文様の細工の数々はこの地に根付いた建築文化とイスラム建築の融合を見事に示しています。
エローラ石窟群
石窟は5世紀から10世紀の間にこの地域の地盤を構成する比較的風化に強い玄武岩層を削られて造られており世界的にも仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教のための寺院及び修道院が集まる場所として有名です。その総数は34箇所にも及び、また建造時期も近く石窟は宗教を隔てることなく行き来ができるため宗教に対しての寛容性をうかがい知ることができます。
それぞれの見所として仏教の石窟エリアでは日本の仏閣を彷彿とさせる木造建築調の石製彫刻、ヒンドゥー教の石窟エリアでは細かい装飾を有する繊細な寺院群、ジャイナ教においてはライオンに座る女神石像や今なお色鮮やかに残る天井画などがありその全てが見る者を圧倒します。全てをきちんと見て回るとなると最低でも丸一日は必要になります。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街
世界三大キリスト教巡礼地の一つで街の中心に位置するサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂にはキリストに仕えた12使徒のうち最後の殉教者となる聖ヤコブの遺骸が安置されており世界各地から多くの巡礼者が訪れる場所です。
この大聖堂の正面入口は1750年に建造されたフェルナンド・デ・カサス・イ・ノポアという人物の作品でその繊細な造りはバロック建築においての最高傑作とも言われています。内部に入ると玄関ゲートである栄光の門があり、その中心には柱に見立てた瞑想する聖ヤコブ像があります。その像の上部にはキリストを中心に黙示録に登場する24名の長老とその関連人物を含めた29名の像が彫られていて聖ヤコブのキリストにおける使徒としての立場を伺い知ることができます。
その他にも聖ヤコブの抱擁像や特定の年にしか開門されない聖なる門(免罪の門)など見所にあふれる場所になっています。