サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会
(古都トレド)
スペインの「古都トレド」にあるサンタ・マリア・ラ・ブランカは、トレドに残る最古で最大のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所兼学校)。
ユダヤ教の建物でありながら、馬蹄形のアーチや柱塔に施された装飾は、典型的なムデハル様式で、イスラム教徒の職人によっ て建てられたとされるのもそのためです。
ユダヤ人悲劇の舞台「サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会」
しかし、美しい姿とは裏腹に、ここはユダヤ人の悲劇の舞台でもありました。12世紀から13世紀、町には1万人以上のユダヤ人が暮らし、キリスト教王の下、ユダ ヤ教徒、キリスト教徒、そしてイスラム教徒が共存していました。
ところが1405年、 ドミニコ会の説教師サン・ビセンテ・フ エレルが訪れ、ユダヤ教徒を激しく批判 したのである。これを聴いて激昆したキリスト教徒が暴徒化し、シナゴーグへ押しかけました。そして次々とユダヤ人の喉 もとを切りつけ、崖から突き落とし、殺したのです。
事件後、ユダヤ人がトレドを離れると、 シナゴーグは、キリスト教の聖堂に変えられ、「白い聖母マリアの聖堂」を意味 するサンタ・マリア・ラ・ブランカと名付けられました。後にユダヤ人はトレドに戻 り、数年で元の人口まで回復したものの、 1492年には、ユダヤ人追放令が発せられ、彼らは再びこの地を去らねばならなかったのです。
「サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会」のデータ
国名 | スペイン |
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世界遺産名 | 古都トレド |
名称 | サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会 |
ユダヤ教の教会、サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会も立派ですね。その陰にキリスト教会から迫害され追放された人々がいるのはびっくりです。サンタ・マリア~と言うなら同じ信仰ではないのでしょうか。
宗教戦争は根が深いですね。面白い記事でした。