ラインフェルス城
(ライン渓谷中流上部)
ザンクト・ゴアールの背後の山上に建つラインフェルス城。難攻不落のお城としての威厳を誇っていましたが、18世紀に廃墟となり、1973年から一部が高級ホテルとして利用されています。大部分は廃墟のまま残され、現在は要塞博物館としての役割を担っています。
ラインフェルス城の歴史
築城
1245年にカッツェネルンボーゲン家のディーター5世によって建造されたお城です。ライン川の通行料徴税という重要な役割を担っていました。しかし、彼が通行税を引き上げたためライン都市同盟が挙兵し、1255~1256年の1年以上に渡り城を包囲しましたが、守り抜かれました。
1260年ディーター5世とその弟エーベルハルト1世の2系統に分かれ、城も2家で分割され、1402年にヨハン4世によって再統合。ラインフェルス城は両家の館として整備されました。
ヘッセン方伯家時代
1479年に当主のフィリップ1世が亡くなった時に断絶しています。フィリップの娘婿のヘッセン方伯家が後を継ぐことになったのです。しかし、三十年戦争の最中にも関わらず、遺産争いが勃発し、1623年にヘッセン・ダルムシュタット方伯が城を手中に収めました。
この時代のお城は、増強・増築を繰り返し、ルネサンス様式に改築されました。そしてフィリップ2世の時代にはライン川周辺の城の中でも大規模で豪華な城となりました。13世紀以降、何度も包囲攻撃を受けましたが一度も落城したことがなく、16世紀後半にはドイツで最も強固な要塞の一つとなっています。
1690年頃のライン川の城がフランス軍のルイ14世によって攻め落とされた時も、約3万もの兵と56の門大砲を使いフランス軍を撃退しています。
強固な要塞の陥落
しかし、1794年のフランス革命の時フランス軍がドイツまで侵入し、この城をはじめライン川の左岸にある多くの城を支配下に入れ、城は爆破されてしまいました。廃墟となった城を1843年に皇帝ヴィルヘルム1世が買い取り、20世紀前半には修復され、城の外郭部には新築の建物のホテルと会議場となっています。廃墟のままの部分は現在も要塞博物館として一般に公開されています。
ラインフェルス城の見どころ
ライン川沿いの名城の一つとして名高いラインフェルス城。対岸にはザンクト・ゴアールの街並、ネズミ城、ネコ城のパノラマや、ローレライの美しい景色を見ることができます。ドイツには古城がたくさんありますが、ラインフェルス城ほど巨大な要塞はほとんどなく、ライン河畔では最大の城です。
古城ホテルで雰囲気を満喫
17世紀に建て替えられた南側部分は、現在、古城ホテルとなっています。ライン川を見下ろす崖に建つホテルには、3タイプの部屋が用意されています。スタンダードでも広さ景観とも十分満足できます。ワンランク上の部屋に泊まると、流石シュロスホテルという雰囲気を味わうことができ最高です。またプールやサウナなどの施設も充実しています。
ライン川の絶景が望めるレストランも人気。全面ガラス張りで見晴らしがよく、春や夏のシーズンには多くの観光客が訪れます。
城跡博物館
16世紀までに建てられた北側の中核部分が城跡博物館になっています。ライン川一の要塞として名を馳せた城だけあり壮大です。中世の武具などが展示された施設もありますが、ほとんどがかつての要塞の姿を留め、栄華を誇っていた城の様子を見ることができます。
この城の形態を知ることができ、南側の断崖は手を加えず、丘が続く北側には何重にも城郭が造られています。
塔の上に昇ることも可能で、上から見るライン川の絶景を望めます。
まとめ
シェーンブルク城、グーテンフェルス城と並ぶライン渓谷の古城ホテルとして知られる名城です。船の上から見るだけでも、豪華で巨大な要塞だったことが感じられます。
「ラインフェルス城」のデータ
国名 | ドイツ |
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世界遺産名 | ライン渓谷中流上部 |
名称 | ラインフェルス城 |