ヴェッキオ宮殿
フィレンツェ歴史地区

イタリアの世界遺産「フィレンツェ歴史地区」に含まれるヴェッキオ宮殿は、シニョーリア広場に面し、ウフィツィ美術館に隣接しています。

1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設されたゴシック様式の建物で、高さ94mの鐘楼「アルノルフォの塔」がシンボルになっています。

ヴェッキオ宮殿とは?

【世界遺産】ヴェッキオ宮殿 | フィレンツェ歴史地区

photo credit: DSC_6773 via photopin (license)

ヴェッキオ宮殿は、初めはフィレンツェ共和国(トスカーナ公国)の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿に移るまでここを住居としていました。

1550年から1565年にかけて、メディチ家のコジモ1世の命により、ジョルジョ・ヴァザーリが一部をルネサンス様式に改装。内部にはヴェロッキオやミケランジェロの彫刻、ヴァザーリの壁画などがあります。

「500人大広間」

ヴェッキオ宮殿は現在でもフィレンツェ市庁舎として使われ、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レオ1世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれています。

ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」

2007年5月、イタリア文化庁はレオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」が500人広間にあるヴァザーリの壁画の裏側に隠されていると発表しました。

1504年、ダ・ヴィンチはフィレンツェ共和国から依頼を受け、ヴェッキオ宮殿の大会議室「500人大広間」に「アンギアーリの戦い」を描き始めました。残念なことに、この作品はテンペラやフレスコではなく油絵の実験的手法で描かれたため、表面の絵の具が流れ出し、ダ・ヴィンチはこの壁画の制作を諦めました。

しかし、「アンギアーリの戦い」はその中心部の素晴らしさを賞賛され、その後、数十年は多くの画家によって模写されていきました。1550年、宮殿の改築・拡張を請け負ったヴァザーリは、未完のまま残された作品の前にもうひとつ壁を作り、そこに自分の作品を描くことによって、尊敬する師であるダ・ヴィンチの作品を残したのです。

「ヴェッキオ宮殿」のデータ

国名 イタリア
世界遺産名フィレンツェ歴史地区
名称ヴェッキオ宮殿

 

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