フォンテーヌブロー宮殿
フォンテーヌブローの宮殿と庭園

フォンテーヌブロー宮殿はフランスのセーヌ=エ=マルヌ県にあり、庭園とともに「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」として世界遺産に登録されています。フランスで最も大きな宮殿です。

フォンテーヌブロー宮殿の歴史

元々は狩猟の場であったため、そこに王の館を建てたことが始まりです。現在に至るまで増改築を繰り返していますが、基本の建築は16世紀前半のフランソワ1世によるものです。

その際は本格的なルネサンス様式の建築でした。なお、フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家を招聘したルネサンス君主でもあります。

歴代の王はみなこの地を愛し、アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスは宮殿の大拡張工事を行いました。アンリ4世は庭園に運河を造っています。

しかし、フランス革命によって、内部の装飾品などはすべて売り払われてしまいました。これは、王族が再び力を持たないようにするためだったといいます。

ところが、ナポレオンがフォンテーヌブロー宮殿を気に入りました。彼はここを自分の権威を示す場所とすることに決め、入口を広げて馬車が入れるようにしたり改築しました。現在の宮殿と庭園は、彼が改築したものになります。

が、彼の時代も長くは続かず、彼が追放されてからのフォンテーヌブロー宮殿が使われ始めたのは、ナポレオン3世による第2帝政になってからのことでした。

フォンテーヌブロー宮殿の建築

【世界遺産】フォンテーヌブロー宮殿

photo credit: The Staircase via photopin (license)

フォンテーヌブロー宮殿の建物は中庭を囲むようにして建てられています。内装や庭は、ルネサンス後期に栄えたマニエリスム様式をフランス風に解釈したものを導入しています。

これはフォンテーヌブロー様式と呼ばれるようになり、彫刻、金工、絵画、漆喰装飾、木工が組合わせられています。彫刻の洗練された細かさやなどは他のヨーロッパに国々へと波及していきました。

フランソワ1世の回廊

国王の住居棟と三位一体礼拝堂をつなぐ部分にあります。フランソワ1世が、イタリアの芸術家ロッソ・フィオレンティーノに命じて造らせました。フレスコ画やスタッコという化粧漆喰の装飾がとても優美です。

絵皿の回廊

テラスだった場所を改装し、回廊としました。壁には食器セットがはめ込まれています。

ディアナの回廊

アンリ4世の妃の部屋として造られましたが、王政復古後にナポレオン3世が図書室に改装しました。蔵書が1万6千冊あるそうです。装飾は女神ディアナを題材としたものです。

三位一体礼拝堂

天井はすべて宗教をテーマにした絵で飾られています。国王と王妃は、階上席で毎日ミサに参加しました。

舞踏会の広間

長さ30m、幅10mの広間で、歴代の王たちはここで祝宴を催しました。柱はフレスコ画の装飾で埋め尽くされており、イタリア様式の天井も豪華です。大きなガラス窓がはめこまれ、空間を明るく演出しています。

玉座の間

元々国王の寝室だった場所を、ナポレオン1世が玉座の間に改修しました。ここで宣誓の儀式などが行われました。

皇帝の寝室

【世界遺産】フォンテーヌブロー宮殿

photo credit: Fontainebleau via photopin (license)

ナポレオン1世がこの部屋を寝室とし、1870年まで歴代の王が使用しました。

皇后の寝室

16世紀末から1870年まで、歴代の王妃が寝室として使用しました。マリー・アントワネットも使用しています。

 

多くの王が増改築にかかわったため、装飾の所々に「F」や「H」、「N」の文字が見られます。これは王のイニシャルで、Fはフランソワ1世、Hはアンリ2世、Nはナポレオン1世を示しています。気に留めて見てみると面白いですね。

「フォンテーヌブロー宮殿」のデータ

国名 フランス
世界遺産名フォンテーヌブローの宮殿と庭園
名称フォンテーヌブロー宮殿

 

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