中城城跡
琉球王国のグスク及び関連遺産群

中城城跡(なかぐすくじょうあと)は、沖縄県中頭郡(なかがみぐん)中城村と北中城村にかけて残っている城跡です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、世界遺産に登録されました。

標高150~170mの丘陵にあり、南東には15m以上の切り立った断崖、北西には急勾配の斜面があるため、守りやすく攻めにくい城であったといえます。グスクの中では最も原型をとどめているものだそうです。

中城城の歴史

正式な築城年代は不明ですが、14世紀中頃、先中城按司(さきなかぐすくあじ)が主要部分を築いたといいます。按司とは、当時の琉球の豪族層です。その後1440年に護佐丸(ごさまる)によって増築され完成しました。

1458年に護佐丸が滅んで以降、中城王子の所領となり、1729年に間切番所(まぎりばんじょ)が置かれます。間切番所とは、琉球王国での市町村役所のようなものであったといわれています。1853年には日本本土へ向かう途中のペリーが来航。測量を行い、建築技術の高さに驚いたといいます。

1879年(明治12年)に明治政府によって沖縄県が設置され、それ以降は中城村役場として機能していましたが、1945年(昭和20年)、太平洋戦争の沖縄戦によって焼失してしまいました。

中城城の構造

正門

南西に面した正門は、堅固な石垣に挟まれています。裏門は、エジプト式とペリーに評されるほどの美しいアーチ型をしており、そのほか、それぞれの郭の石積みの技術は素晴らしいものです。

一の郭

正殿があった一の郭には、後に間切番所、中城村役場が置かれました。二の郭と共に、布積み(別名:豆腐積み)という、直方体に加工した石をブロック状に積む方法で石が積まれています。

三の郭、北の郭

新城(ミーグスク)とも呼ばれる三の郭と北の郭は、相方積み(別名:亀甲乱積み)という方法で石積みされています。石を多角形に加工し、噛み合うように積むやり方で、とても高度です。

西の郭

西の郭は約120mあり、兵馬の訓練をしていたそうです。

南の郭

南の郭には、首里の王を拝む首里遥拝所や、久高島を拝む久高遥拝所などがあります。野面積みという、自然のままの岩石を組み合わせる古い積み方をしています。

このほか、大井戸(ウフガー)と夫婦井戸(ミートゥガー)という井戸があり、当時から城郭内で確保していたことがわかります。カンジャーガマという洞穴があり、鍛冶屋跡とも言われていますが、詳細は不明です。

 

中城城跡は現在も発掘作業が進められています。13~15世紀頃の中国製の陶磁器が発掘されたり、かまどや排水施設も見つかっているようです。これから何が発掘されるか、楽しみですね。

見晴らしの良い丘の上にあるので、眼下に広がる沖縄の海の青さにはきっと感動するはずです。石積みの素晴らしい技術と合わせて、ぜひ確かめてきてください。

「中城城跡」のデータ

国名 日本
世界遺産名琉球王国のグスク及び関連遺産群
名称中城城跡

 

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