ネズミの塔(モイゼ・トゥルム)
ライン渓谷中流上部

ライン川の西岸の中州にぽつんと建つ黄色い塔。行き交う船から税を徴収するために、マインツ大司教ハットー2世によって13世紀に築かれたとの伝説が残る塔です。

ネズミの塔の名前の由来

大司教ハットーは農民から穀物の10分の1の税を取り立て、大きな穀物庫に貯えていました。ある年、飢饉に見舞われ飢えた農民はハットーに食べ物乞いをしましたが、その農民を穀物庫に閉じ込めて火をつけ皆殺しにしました。

その穀物庫からネズミが大量発生しハットーの屋敷を襲いました。ハットーは慌てて中洲の塔に逃げ込みましたが、ネズミたちは川を渡り彼に襲いかかり生きたまま食べてしまいました。

この伝説により「ネズミの塔」と呼ばれるようになったそうです。領主の悪役ぶりは、いつの時代も変わらないものですね。

ネズミの塔について

13世紀に建てられた塔は、戦火で焼けてしまい現在残っているのは、1855年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって再建されたものです。この塔を設計したのはケルンの宮大工のエルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナーで、ネオゴシック様式の塔に改築されました。

細く高い塔は見張りとして、隣の低い塔は弓や鉄砲など戦闘用だったとも。出窓からも180度見渡すことができ、屋内からも監視していたようです。

エーレンフェルツ城とねずみの塔の間は、ビンガー・ロッホと呼ばれ、ローレライに並ぶ船の航行の難所といわれています。19世紀以降貨物汽船の航行が増大し、1974年までこの塔は、ライン川の信号塔として使われました。しかし、近年レーダーや岩礁の爆破により、その役目も終えています。

まとめ

聞くと恐ろしい伝説が残る塔とは思えないほど、小さく可愛いネズミの塔。ライン川沿いにある美しい古城の中でも人気の高いスポットです。

右岸にあるエーレンフェルツ城とセットで見学されることも多いですが、両者とも見学不可の施設です。

「ネズミの塔(モイゼ・トゥルム)」のデータ

国名 ドイツ
世界遺産名ライン渓谷中流上部
名称ネズミの塔(モイゼ・トゥルム)

 

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