三池炭鉱 宮原坑
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

三池炭鉱(みいけたんこう)の歴史は、一人の農夫が稲荷山(現在の福岡県大牟田市稲荷町近く)で「燃える石」を発見したことに始まります。以来、500年以上石炭採掘の歴史を持ち、明治時代には三井三池炭鉱と呼ばれ、石炭の産地となりました。

1889年それまで官営であった炭鉱は、三井組に払い下げられました。そして、三井が最初に独自開発した坑口が福岡県大牟田市にある三池炭鉱宮原坑(みいけたんこうみやのはらこう)でした。明治後期から大正期における三池炭鉱の主力坑で、日本の近代化を支えた貴重な炭鉱です。

三池炭鉱 宮原坑

1898年に出炭を開始した宮原坑は、第一竪坑と第二竪坑からなり、年間40~50万tの出炭を維持。1908年には三池炭鉱全体においても28%の出炭量を占めていました。三池炭は、高品位で豊富な埋蔵量を誇っており、国内外の石炭の需要に応えました。

宮原坑は、付近の三池集治監に収容されていた囚人が坑内で労働を行っていた場所でした。1930年に、国から坑内における囚人労働の禁止令が通達されると、囚人を主な労働源としていた宮原坑は1931年に閉坑となりました。

現在、宮原坑には、高さ22m日本最古の鋼鉄製の第二竪坑櫓や巻き揚げ機室、デビーポンプ室が現存しており、宮原坑の見どころとなっています。

「三池炭鉱 宮原坑」のデータ

国名 日本
世界遺産名明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
名称三池炭鉱 宮原坑

 

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