三池炭鉱 万田坑
(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)
三池炭鉱宮原坑から、南に約1.5km。熊本県荒尾市(一部大牟田市)にある万田坑は、三池炭鉱(みいけたんこう)を代表する坑口のひとつです。
三池炭鉱とは?
三池炭鉱の歴史は、一人の農夫が稲荷山(現在の福岡県大牟田市稲荷町近く)で「燃える石」を発見したことに始まります。以来、500年以上石炭採掘の歴史を持ち、明治時代には三井三池炭鉱と呼ばれ、石炭の産地となりました。明治後期から大正期における三池炭鉱の主力坑で、日本の近代化を支えた貴重な炭鉱になりました。
万田坑とは?
熊本県荒尾市にある万田坑は、三井が当時日本の炭鉱の模範とすべく、総力を挙げて整備した坑口です。1897年に開削が始まり、1902年に完成した第一竪坑と1898年に開削が着手され、1908年完成の第二竪坑からなります。日本最大規模の竪坑を誇り、大正から昭和にかけて設備や機械の充実が図られ、徐々に出炭量を増やしていきました。
しかし、1951年、坑内作業環境、運搬効率の悪化などにより採炭が中止されます。採炭中止後も、1997(平成9)年3月の三池炭鉱閉山までは、坑内の管理などを行っていました。
万田坑の敷地は、東京ドームの約1.5倍の広さがあります。敷地内には、第一竪坑跡、汽罐(きかん)場跡などが残っていますが、現在は、第二竪坑周辺の一部の施設のみ見学が可能となっています。第二竪坑周辺の施設は、設備がほぼ完全な形で残っており、当時の採炭の様子や技術を知ることができる重要な施設となっております。その中でも、万田坑最大の見どころは、高さ18.8mの鋼鉄製の第二竪坑櫓です。
第二竪坑櫓
第二竪坑櫓は、滑車にロープを掛けてケージ(エレベータのカゴ)を吊り下げる役割を果たしており、人や資材を昇降させていました。1908年の竣工から少しずつ塗装や補修がされてきており、2009年に修復をした際には、グラスゴー・スチール社(イギリス・グラスゴー)やドーマンロング社(イギリス・ミドルスブラ)の鋼材が使用されていることが鋼材の刻印から判明しました。
第二竪坑櫓横にある巻揚室は、煉瓦造切妻2階建てで1909年に建てられました。巻揚室に入るには、入り口に用意されている黄色のヘルメットを被り入室します。入り口から階段を上っていくと、踊り場付近にはジャック・エンジンがあり、さらに階段を上がると巨大な歯車付きのウインチがあります。このように当時の設備が完全に残されているのは珍しく、また、一部の機械には実際に触ることができます。
万田坑では、当時炭鉱で働いていた炭坑マンの方々がガイドをされています。当時の炭坑マン方々の生の声を聴くことができ、働いていたからこそ知りえたことを語っていただけます。私たちに近い過去を体験された方々から直接聞くことができる場所が、この万田坑です。
「三池炭鉱 万田坑」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 |
名称 | 三池炭鉱 万田坑 |
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