旧集成館(反射炉跡)
(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)
2015年世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ旧集成館は鹿児島県鹿児島市にあります。
旧集成館とは?
薩摩藩主である島津斉彬は、アヘン戦争後、欧米列強の脅威に備え、日本を強く豊かな国にするため、反射炉・高炉による製鉄大砲鋳造や製鉄・紡績、ガラス製造など、さまざまな産業を興しました。これを集成館事業といい、この事業の中核を担ったのが集成館でした。
鹿児島市磯につくられた工場群「集成館」では、反射炉やガラス工場、鍛冶工場などが建設され、最盛期には1200人が働いていたといいます。斉彬は、反射炉建設に際して、すでに反射炉建設に成功していた佐賀藩からオランダ技術書の日本語訳を取り寄せ、薩摩の石積み技術を使って基礎をつくり、薩摩焼の技術を使った耐火煉瓦を焼くなどして、和洋折衷の技術を使いながら反射炉を建設しました。
1863年の薩英戦争で、イギリス軍の攻撃により集成館は消失してしまいますが、その後、島津忠義によって復興します。
1958年、集成館の跡地一帯は、国の名勝に指定され、2015年世界遺産に登録されたことにより、日本の近代化遺産として注目を集めています。
「旧集成館(反射炉跡)」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 |
名称 | 旧集成館(反射炉跡) |