ネコ城(ノイカッツェンエルンボーゲン城)
(ライン渓谷中流上部)
ローレライの難関である急カーブを超えるとすぐ右岸に見えてくるのがネコ城です。対岸にあるラインフェルス城を守るために、軍事基地として建てられました。1989年以来日本人男性の所有で、一般公開はされていません。現在はプライベートな高級ホテルとなり、オーナーの知人などが宿泊しているようです。
ネコ城(ノイカッツェンエルンボーゲン城)とは
ネコ城の正式名称はノイカッツェンエルンボーゲン城(略称カッツ城)と呼ばれています。自領を守るため領地を増やしラインフェルス城をはじめ多くの城を建設しました。ネコ城もカッツェンエルンボーゲン伯によって建てられました。その伯爵の名をとって名付けられています。
ネコ城の由来は2つあり、一つはこの城を建てた人物が猫のような顔をしていたから。もう一つは、カッツェンエルンボーゲンはドイツ語で「猫の肘」という意味を持つことに因んでいるようです。
お城の成り立ち
ラインフェルス城を築いてから約100年後の1371年ごろに、左岸だけでなく右岸にも領土を持ったカッツェンエルンボーゲン伯爵ヴィルヘルム2世によって、軍備強化と税徴収のために建てられました。この頃のライン川周辺は、船からの税収目当てに領地争いが絶えなかったようです。
ライン川の急カーブの近くにあり、谷からの攻撃は不可能とされ大砲ができるまでは難攻不落の城といわれていました。火薬大砲による攻撃がはじまりネコ城の防御体制が強化されることになり、3km先にあるラインフェルス城と肉眼でコンタクトを取り合うことを可能にするために高さ60mに再建されました。フィリップ老伯の死去に伴い、後継ぎがいなかったカッツェンエルボーゲン家は1479年に断絶しました。
その後、三十年戦争の最中にも関わらず、遺産争いが勃発し、1623年にヘッセン・ダルムシュタット方伯がラインフェルス城とネコ城の2つを手中に収めました。1692年のプファルツ継承戦争中にフランス軍の攻撃などもあり、数度にわたり破壊と改造改築が繰り返され、1800年に修繕されました。しかし、難攻不落といわれ堅固なネコ城は、フランス革命の時ナポレオンによって1806年に破壊されてしまいました。現在も大きな塔の上部が失われていますが、これはナポレオンの攻撃を受けた時のものといわれています。
ナポレオン没落後の1816年にはナッサウ公領となっています。何度か所有者が変わり最終的にはフェルディナント・ベルク郡長が城跡を取得し1896から1898年にかけて再建しました。1936年のナチス時代には帝国勤労奉仕隊が、戦後はドイツ連邦共和国の所有となっています。
まとめ
ネコ城はハイネの詩で知られるローレライと遊歩道で繋がっています。ローレライの景色を楽しんだ後は、古城の美しさを外観だけですが見学してはいかがでしょう。
愛知県犬山市には「犬山城」があり、ザンクトゴアルスハウゼンと友好都市になっています。
「ネコ城(ノイカッツェンエルンボーゲン城)」のデータ
国名 | ドイツ |
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世界遺産名 | ライン渓谷中流上部 |
名称 | ネコ城(ノイカッツェンエルンボーゲン城) |