勝連城跡

勝連城跡は、沖縄県うるま市にあります。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、世界遺産に登録されました。

標高約60~98mの丘陵にあり、面積は約11,897㎡で、東西に細長いグスクです。13世紀前後より城塞として使われていたとみられ、按司阿麻和利(あまわり)の居城でした。

勝連城の歴史

勝連城跡では貝塚が発見されていることから、先史時代後期末より古代人の生活の場であったと考えられています。

勝連城がその名を歴史に刻むきっかけとなったのが、阿麻和利の登場でした。先代の按司から勝連城を奪い取った彼ですが、人々に慕われた領主だったそうです。海外との貿易を盛んに行い、力をつけていきました。そんな彼を脅威に感じた琉球国王は、娘の百十踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせたほどです。

さらに阿麻和利は中城城を攻め、有力按司の護佐丸を滅ぼしました。しかし1458年、首里軍に攻められ、敗れてしまいます。

中国の陶磁器が大量に出土しており、彼の時代はここが海外貿易の中心地であったという証拠にもなっています。大和系の瓦も見つかりました。

勝連城の構造

勝連城は、5つの曲輪(くるわ)から成っています。曲輪とは、城郭内の区画のことです。一の曲輪を頂点として、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪、東の曲輪と徐々に低くなっていきます。

一の曲輪の標高は約98mで、視界を遮るものがなく、360度景色を見渡せる眺望が最高です。正殿のようなものがあったと考えられています。

二の曲輪の基壇は布積み(別名:豆腐積み)で、直方体に加工された石がブロック状に積まれています。三の曲輪は儀式を行ったのではないかといわれています。

城内には拝所(御嶽・うたき)が幾つかあります。神が存在する、または神が来訪すると考えられていたこの御嶽は、人々の信仰の対象でした。玉ノミウヂ御嶽は一の曲輪にあり、大きな岩がご神体です。また、台所であり火の神がいるとい考えられていたウミチムン、神職者である神人(カミンチュ)が収穫祭の時に腰かけていたというトゥヌムトゥなどがあります。

また幾つかの井戸が存在します。四の曲輪にあるウタミシガーは、水の多少で一年の豊作を占う場所であったそうです。夫婦井戸(ミートゥガー)は、縁結びの井戸であるという言い伝えがあります。

勝連城の見どころ

勝連城の見どころは、何と言っても一の曲輪からの眺望です。阿麻和利もここから眼下を見渡していたのでしょう。ここにたどり着くには、けっこうな傾斜を登ってこなくてはいけませんが、そうする価値のある絶景ですよ。

「勝連城跡」のデータ

   
国名 日本
世界遺産名琉球王国のグスク及び関連遺産群
名称 勝連城跡
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