聖イサアク大聖堂



聖イサアク大聖堂は、サンクトペテルブルクの中心にあるロシア正教会の大聖堂。従来のロシア・ビザンチン建築様式(ギリシャ十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置する)を基本に、新古典主義様式によるファザードで建設されており、ドームの高さは101.5メートルあります。

聖イサアク大聖堂の歴史

聖イサアク大聖堂|サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 (4)

大聖堂の名はピョートル大帝(1682-1725)の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー)に由来します。

ピョートル大帝時代に、ワシリエフスキー島に初代の聖イサク教会が建設されました。その後、1717年に元老院広場(現在のデカブリスト広場)に移りましたが、落雷による火災で焼失しました。

エカテリーナ2世(1729-1796)の命により、イタリア人建築家アントニオ・リナルディが再建事業にあたったものの未完に終わり、パーヴェル1世(1754-1801)が事業を引き継ぎました。

現在の聖イサアク大聖堂は、フランス人宮廷建築家オーギュスト・モンフェランの設計により、アレクサンドル1世時代の1818年に建造が始まりました。ニコライ1世時代を経て、アレクサンドル2世時代の1858年まで、工事には実に40年の歳月が費やされました。

これについては伝説があります。モンフェランは占い師から「大聖堂が完成すれば、あなたはすぐに死ぬだろう」との予言を受けており、そのために工事を意図的に長引かせたというものです。結果的には、大聖堂完成からほどなくして、彼は亡くなりました。

聖イサアク大聖堂|サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 (3)

1917年のロシア革命後はソビエト政権下で博物館となっていました。第二次世界大戦中、特にドイツ軍によるレニングラード包囲戦では、大聖堂の黄金のドームがドイツ軍の格好の標的となり得たため、ドームは灰色に塗装されていました。ソビエト崩壊後、大聖堂としての活動が戻り、祭日には奉神礼が行われています。

ロシアの世界遺産 サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

 

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