アト・メイダヌ
(イスタンブルの歴史地区)
アト・メイダヌはコンスタンティノープル競馬場ともいい、トルコのイスタンブルにあります。アヤ・ソフィアやスルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)などと共に、「イスタンブルの歴史地区」のひとつとして世界遺産に登録されました。
アト・メイダヌはトルコ語で「馬の広場」という意味です。ヒッポドロームとも呼ばれますが、これはギリシャ語で馬を指す「hippo」と道を指す「dromes」が合わさり、このように呼ばれるようになりました。競馬場という意味になります。
アト・メイダヌと東ローマ帝国
アト・メイダヌ自体は、コンスタンティノープルがビザンティオンと呼ばれていた時代からありました。324年には、コンスタンティヌス1世がローマからコンスタンティノープルへと遷都し、大規模な都市開発を行います。その時のアト・メイダヌの規模は、長さ450m、幅130mで10万人を収容できたそうです。
ここでは競馬やチャリオットという戦車による競走が行われ、多くの庶民がそれを楽しみました。同時に、皇帝自身もそれを観戦し、庶民と楽しみを分かち合うという形を作ったのです。
一方、戦車にはチームがあり、それぞれのチームには政治勢力がスポンサーとしてついていたため、戦車競走が政治抗争を引き起こすこともありました。
また、ここは皇帝の即位式や凱旋式、公開処刑の場にも使用されていました。
しかし、1204年の第4回十字軍により略奪が行われたため、コンスタンティノープルは徐々に衰退していきます。1453年の東ローマ帝国滅亡の際には、アト・メイダヌはすでに廃墟となっていました。
アト・メイダヌの見どころ
コンスタンティヌス1世やその後の皇帝たちは、アト・メイダヌを様々な装飾品で飾り立てました。多くが失われてしまいましたが、今でも残っているのが、「蛇の柱」と呼ばれるものです。これは、ギリシャのデルポイのアポローン神殿から皇帝が持ってこさせたものです。
トトメス3世のオベリスク
また、テオドシウス1世がエジプトから運ばせた「トトメス3世のオベリスク」(写真手前)もあります。コンスタンティノス7世は自身のオベリスクを建てました。(写真奥)
これらが、現在は公園となっているアト・メイダヌにそびえており、非常に目立つ存在です。
今は競馬場の面影はなく、市民の憩いの場となっていますが、ブルー・モスクを近くに望むこともでき、ロケーションとしては最高の場所です。
「アト・メイダヌ」のデータ
国名 | トルコ |
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世界遺産名 | イスタンブルの歴史地区 |
名称 | アト・メイダヌ |