平城宮跡
(古都奈良の文化財)
平城宮跡は奈良県奈良市にあり、古都奈良の文化財のひとつとして世界遺産に登録されました。
平城宮は平城京の大内裏で、平城京の北端に置かれました。天皇が住む内廷、儀式の場である朝堂院、役人たちが働く外朝があり、四方には高さ5mの塀が作られ、朱雀門をはじめとする12の門がありました。
平城宮の歴史
710年(和銅3年)に平城京遷都が行われ、平城宮も建設されたとみられています。しかし784年(延暦3年)に都が長岡京に移ると、徐々に忘れ去られてしまいした。809年(大同4年)に平城上皇が平城宮を居住地としてはいましたが、しだいに荒れ、農地となってしまったのです。
しかし、1852年(嘉永5年)、藤堂藩の北浦定政(きたうらさだまさ)が「平城宮跡大内裏跡坪割之図」を著し、平城宮の大きさが判明します。明治時代になると、関野貞(せきのただし)が大極殿跡を発見し、これがきっかけとなって、棚田嘉十郎(たなだかじゅうろう)や溝辺文四郎(みぞべぶんしろう)が平城宮跡の保存運動を展開し、国の史跡となりました。
進む発掘と復元
以降、研究と発掘が進み、様々な遺構や遺物が出土しました。近鉄による検車区設置計画や国道バイパスを通す計画などが持ち上がったこともありましたが、その度に平城宮跡を守る運動が起こり、それらの計画は中止となったのです。
現在は、整備計画にもとづいて建造物の復元などが進められています。1998年には朱雀門と東院庭園が、2010年には第一次大極殿が復元されました。資料館などでは、出土物や遺構を見ることができます。
平城宮跡で復元されているのは、先に述べた、
朱雀門
東院庭園
第一次大極殿
のみです。これだけで素晴らしい外観を誇りますが、おそらく、この先研究が進めば、さらに多くの建物が復元され、より都らしさを取り戻していくかもしれません。大きな期待を込めて見守りたいですね。
「平城宮跡」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 古都奈良の文化財 |
名称 | 平城宮跡 |