アヤソフィア
(イスタンブルの歴史地区)
トルコの世界遺産「イスタンブルの歴史地区」には、トプカプ宮殿、スルタン・アフメト・ジャミィ(ブルー・モスク)など歴史的建造物が数多く存在します。その中でも、特にイスタンブルという街の変遷を象徴する建物がアヤソフィアです。
現在のアヤソフィアは、532年に起こった「ニカの反乱」によって焼失した2代目アヤソフィア聖堂を、537年ビザンツ帝国のユスティニアヌス1世が再建したものです。ユスティニアヌス帝の「新しい聖堂を」との命を受けた建築家アンテミオスとイシドロスは、壁や柱に大理石をふんだんに使用し、国中から選りすぐりの職人を集めました。
ビザンツ建築の最高傑作「アヤソフィア」
高さ約55m、直径約31mもある巨大ドームを有したバシリカ式聖堂は、6世紀の建築技術からすると建物の壮大さ、構造ともに奇跡とされ、ビザンツ建築の最高傑作と評されました。
その後、557年の大地震によるドームの破壊、8~9世紀頃に起きた聖画像破壊運動(イコノクラスム)によるモザイク壁画の損傷などありましたが、その度に修復されました。
現在、聖堂内にある聖母子やキリストなどのモザイク壁画は、聖画像破壊運動後の作品です。ビザンツ建築と美術の粋を集めた聖堂は、ギリシャ正教の総本山として信仰を集めました。
イスラム教のモスクへ
しかし、1453年、オスマン帝国メフメト2世がコンスタンティノープルを征服すると、都はイスタンブルと改名され、アヤソフィアはイスラム教のモスクとして改修されました。
聖堂内を飾っていたモザイク壁画は漆喰で塗りつぶされ、イスラム教のミナレットやミフラーブ(写真)、預言者ムハンマドの名が書かれた円盤などが設置されます。
アヤソフィアはオスマン帝国時代にも、幾度か修復工事が行われており、スレイマニエ・モスクを手掛けた建築家ミマル・スィナンも工事に携わった一人です。修復工事は、スィナンに大きな影響を与えたといわれています。
無宗教の博物館へ
約500年続いたモスクとしての歴史に終止符が打たれたのは、20世紀になってからです。1923年にトルコ共和国が成立すると、初代大統領ケマル・アタチュルクの命により無宗教の博物館になることが発表されます。
早速、修復作業が開始され、塗り固められていた漆喰をはがすと、ビザンツ美術の傑作であるモザイク壁画が次々と姿を現しました。
再びモスクへ
2020年7月10日、トルコのエルドアン大統領はアヤソフィアを再びモスクに戻すと決定。
24日には86年ぶりとなる金曜日の集団礼拝が行われました。
アヤソフィアの見どころ
アヤソフィアの最大の見どころといえば、修復作業によって蘇ったモザイク壁画。
「聖母子像」
後陣の小さなドームにあり、アヤソフィアのモザイク壁画の中で最も古いといわれる聖母子像。
「デイシス」
二階ギャラリーにあり最も名高く、最も貴重なデイシス(請願)。この壁画は、キリストを中心に、聖母マリアとヨハネが描かれており、キリストの顔が立体的に描かれているのが特徴的です。
「聖母子とユスティニアヌス1世、コンスタンティヌス1世」
その他にも、拝廊出口部分にあるユスティニアヌス帝、聖母子、コンスタンティヌス帝のモザイクなど、素晴らしいモザイク壁画が数多くあります。
アヤソフィアは、ビザンツ美術とイスラム美術が混在する博物館であり、イスタンブルという都市の変遷を語る代弁者です。イスタンブルに行くならば、絶対に外せないスポットです。
最後に、アヤソフィアには、願いが叶うといわれる柱があります。大理石の柱に小さな穴が空いており、そこに親指を入れ360度回すことができたら願いが叶うそうです。試してみてはいかがですか。順番待ちの列ができていますので、すぐ見つけられると思いますよ。
「アヤソフィア」のデータ
国名 | トルコ |
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世界遺産名 | イスタンブルの歴史地区 |
名称 | アヤソフィア |
素晴らしい歴史遺産の数々、アジアとヨーロッパの交易拠点にあるイスタンブールのアヤソフィアは、人類の至宝である。