軍艦島(端島炭坑)
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

2015年世界遺産に新登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に含まれている軍艦島こと端島(はしま)は、長崎県の長崎港から南西約18kmにある無人島です。

軍艦島の発見と発展

【世界遺産】軍艦島(端島炭坑) | 明治日本の産業革命遺産

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1810年に石炭が発見され、明治時代中期以降から採掘が盛んになりました。1890年に三菱社によって買収されてからは、埋め立てや護岸工事が進み、面積が拡張された人工島となっていきます。

端島炭坑からは良質な石炭が産出されたため、八幡製鉄所へも供給されていました。産業革命のまさに中心を担っており、後の太平洋戦争の際にも、貴重な資源の供給源でした。戦後の復興期には、国の基幹産業となり、労働者の給与水準は高く、食料の配給も優先されていましたが、採掘現場の環境は非常に過酷なものであったそうです。

軍艦島 名前の由来

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大正時代以降に、日本初の鉄筋コンクリート製高層住宅が建設され、それからは多くの高層住宅が立ち並ぶようになりました。その外観がまるで海上要塞のようで、当時建造されていた戦艦「土佐」に似ていたために、「軍艦島」と呼ばれるようになったともいわれています。

軍艦島の全盛期~終焉

最盛期の軍艦島には、5000人超の人々が住み、当時の東京の約9倍の人口密度でした。島の中には、小中学校・病院・商店・映画館・寺・理髪店・美容院があり、娯楽施設のパチンコや雀荘、スナックもあり、ここで生活のすべてが完結するようになっていました。

日本の高度経済成長を支え続けたこの端島炭坑ですが、石炭から石油へのエネルギー政策の転換により、1974年1月に閉山となります。島民はすべて島を離れ、現在は完全な無人島となりました。長期間風雨にさらされているため、廃墟化が進み、見学は島内の一部のみ可能となっています。

「軍艦島(端島炭坑)」のデータ

国名 日本
世界遺産名明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
名称軍艦島(端島炭坑)

 

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