フォロ・ロマーノ
(ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)
フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀から紀元3世紀まで、古代ローマの政治・経済・商業の中心地として栄えました。元老院が置かれたクーリア、セベルス帝の凱旋門、バシリカユリア(ユリウスのバシリカ)、サトゥルヌスの神殿、ウェスタの神殿などなど、修復・再建されたものも含め多数の遺跡があります。
近くにあるコロッセオと一緒に「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」としてイタリアの世界遺産に登録されています。
フォロ・ロマーノは看板や案内があまりなく、ただ遺跡がゴロゴロと転がっている所も多くあります。
フォロ・ロマーノの歴史
フォロ・ロマーノとは「ローマ市民の広場」という意味。共和制末期に入った紀元前1世紀ごろ、ローマは芸術の盛んな古代ギリシアの都アテネや、美しい街並みを持つ古代エジプト最後の都アレクサンドリアに比べると、いかにも見劣りする街でした。中心地フォロ・ロマーノさえ、レンガ造りのみすぼらしい建物と空き地が目立つ場所でした。
ユリウス・カエサルの登場
そのとき立ち上がったのがユリウス・カエサルでした。彼は世界制覇へ向けて、ローマを威厳ある都にしようと改造に乗り出したのです。 ところが暗殺により、カエサルの造営事業は宙に浮いてしまいます。それを引き継いだのが、初代皇帝アウグストゥスでした。 彼は、ギリシアで開花した洗練されたヘレニズム文化を、本格的に採り入れたのです。
そしてまず「神なるカエサル」を議える ユリウス神殿を造り、建設中だった新しい元老院やバシリカ・ユリアを完成させました。さらにヴェスタ神殿や王宮(レギア)など既存のほとんどの建物に手を加えたほか、全域に舗装工事を施したのです。 その結果、フォロ・ロマーノの様相はみごとに変貌しました。
「私はローマをレンガの街として引き継ぎ、大理石の都として引き渡す」
アウグストゥス帝が残した言葉通り、都ローマは華々しい姿を誇ることになります。しかし、帝自身は終生、パラティ ーノの丘の質素な家に暮らしたというから驚きです。
政治の主役、ローマ市民
紀元前509年から約500年続いた共和政時代、古代ローマの政治の主役は市民でした。彼らは都ローマの中心地であるフォロ・ロマーノに足繁く通い、日ごと行われる政治家の演説に聞き入りました。もっとも活気があったのは、民会の集会場で、場所はちょうど現在の元老院付近にありました。
演壇に政務官が現れると、 円形階段席に詰めかけた市民は、熱心に耳を傾け、気に入った演説には拍手を送り、ときには反対の拳を振り上げて抗議し、政治に参加したのです。 市民の信望を得ようと権力者たちの間で流行ったのが雄弁術す。その第一人者にキケロがいます。
キケロによる「カテイリーナの弾効」
彼の有名な演説に、「カテイリーナの弾効」があります。紀元前63年、名士でありながら政治的失敗と借財を重ねたカティリーナは、執政官の暗殺を企てました。その年の冬、事件を知ったキケロは当代随一の「舌」で、4回も演壇に立ちました。そして、いかなる陰謀がたくらまれているのか、国家はどのような 危機に瀕しているのかを朗々と語りまし。
その演説が引き金となり、元老院は陰謀者たちを国家への反逆者とみなして摘発し、陰謀を未然に防いだのです。 ところがその後、元老院では反逆者の処罰を巡り、新たな弁古合戦が繰り広げられました。キケロとユリウス・カエサルの大舌戦です。結果的にはキケロの求める死刑に決まったものの、カエサルの演説は、かのキケロも一目置くほど、説得力のある雄弁ぶりだったといいます。
フォロ・ロマーノの栄枯盛衰
帝政時代、ローマの皇帝たちは、「死後どれだけの人びとの記憶に残り続けるかが人生の成功の決めて」と考えていました。そのため、在位中は名を上げることに執心し、それが叶うと自らの権力を示す建築物を建てたのでした。元老院に憎まれたドミティアヌス帝が、死後、「記憶抹殺の刑」という手厳しい報復を受け、その名を冠するすべての建造物が破壊されたことは、この上ない屈辱といえます。
フォロ・ロマーノには、彼にまつわる建物は何一つ残っていません。一方、生前の評判が高かった10代皇帝テイトゥスは、ユダヤ戦争で大勝利を収め、エルサレムを陥落させた手柄をたたえられ、その死後、元老院とローマ市民から「ティトゥスの凱旋門」が贈られました。
こうして、建築が進み、フォロ・ロマーノが手狭になると、「トラヤヌスの市場」や「コンスタンティヌスの凱旋門」など、 皇帝の名をもつ多くの建物が、ローマのいたるところに建設されたのでした。
ところが帝国の力に繋りが見え始めると、 新築どころか、維持すら困難になります。トラヤヌス帝やディオクレティアヌス帝も フオロ・ロマーノの修復事業に力を尽くしましたが、3世紀になると、もはやかつての栄光を取り戻すことはできませんでした。
フォロ・ロマーノの主要建造物
サトゥルヌスの神殿
セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門
アントニヌス・ピウス帝とファウスティーナの神殿
カストルとポルックスの神殿
フォカス帝の記念柱
元老院議事堂(クーリア・ユリア)
「フォロ・ロマーノ」のデータ
国名 | イタリア |
---|---|
世界遺産名 | ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 |
名称 | フォロ・ロマーノ |