エディンバラ新市街
(エディンバラの旧市街と新市街)



1707年、イングランドとスコットランドは統合され、18世紀半ばにはようやく平和の時代が訪れました。 エディンバラの人口も増加し、新しい街づくりが求められるようになりました。

エディンバラの新しい街づくり

市街はすでに過密状態なので、エディンバラ城の北側の湖を一部埋め立て、新しい土地を造成。1767年、エディンバラ市は、新市街の建設計画案を公募しました。

選ばれたのは、23歳の無名の建築家、ジェームズ・クレイグのプランでした。 クレイグの計画は、まず起伏のある土地を地ならしして平らにし、馬車時代の到来に備えて、道路の幅を広く取るというものでした。

また、建物と道路を碁盤の日のように整然と配置し、その間に方形や円形の広場を配して、街並みにそれまでにない広がりと優雅さを与えようとしました。

旧市街の建物は、丘陵の起伏を生かして建てられていたため、表からは3階建てに見える建物が、裏からは6階建てに見えるというように、市街の景観は立体的でした。しかし、クレイグは起伏は機能的でなく、むしろ無用と考えました。

また彼は、新市街のメインストリート をジョージ・ストリートと名付け、その道の数カ所の交差点に銅像を建てました。エディンバラ城や旧市街の建物を後景として立つ銅像は、街の景観を一層印象的な ものにしたのでした。

その後、建築家ロバート・アダムが計画を引き継ぎ、1791年には、新市街でもっとも美しいとされるシャーロット広場を完成させます。広場の周囲を統一感のある建物が取り囲み、落ち着きと気品を醸し出す街並みは、大きな注目を集めました。

これらの建物には貴族や資産家が住み、景観を考えて、洗濯物も部屋の中に干すことが義務付けられまし。 また、19世紀になると、古代ギリシアの建築様式が人気を呼び、プリンシズ通りに、スコットランド王立アカデミーが建てられ、東側のカールトン・ヒルには神殿風のナショナル・モニュメントが造られました。このことから、この街は「北国のアテネ」とも呼ばれています。

イギリスの世界遺産 エディンバラの旧市街と新市街

 

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