コンシェルジュリー
(パリのセーヌ河岸)
フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」に含まれているコンシェルジュリーは14世紀始めにフィリップ美貌王の王宮として建てられた、セーヌ川沿いに建つゴシック様式の建物。シテ島西側にある位置します。
死の牢獄「コンシェルジュリー」
ボンベックの塔、銀の塔、シーザーの塔と呼ばれる3つの塔はカペー王朝時代の名残が見られます。左端の四角の塔の戸外に取り付けられた、パリ最古の公共時計も見ものです。
とんがり屋根のお城のようですが、実はフランス革命の時には4,000人以上の人々が収容された牢獄という歴史を持った建物です。2,600人もの貴族や革命家たちが最後の時を過ごしここから処刑台に送られたことから、「ギロチンへの入口」と呼ばれました。その中にはかの有名なマリーアントワネットやルイ15世の愛妾デュバリー夫人、ロベスピエールなども含まれています。
コンシェルジュリー 内部
コンシェルジュリーの展示室コーナーにはマリーアントワネットが白髪になった肖像画が飾られ、奥に入ると牢獄を再現した部屋も展示されています。
各部屋の中には蝋人形が置いてあり、財産によって家畜以下の扱いをされる部屋から、ベッドがある相部屋、ベッドやデスクが付いた個室まで再現され、そのリアルさと悲劇的な運命を感じるスポットです。
マリーアントワネットの独房

photo credit: Conciergerie via photopin (license)
マリーアントワネットの独房も再現されています。黒いヴェールを被ったアントワネットが背を向けて座っている湿った空気が漂う暗い部屋では、ヴェルサイユ宮殿で暮らしていた栄華からは考えられない凋落ぶりを感じとることができ、歴史を語る上には外せない場所です。投獄中に使った遺品も展示されています。
コンシェルジュリーの中庭

photo credit: Conciergerie via photopin (license)
女囚が散歩を許された唯一の庭、「5月の庭」と呼ばれる小さな中庭があり、ここでは散歩を楽しみ、時には男性の囚人と柵越しに会話を楽しむこともあったようです。
マリーアントワネットは、1793年10月16日38歳の若さでこの広場から馬車に乗り、処刑場のコンコルド広場に向かったといわれています。
シテ島に訪問された際は近隣の煌びやかな寺院などとは対照的な、暗い歴史を背負ったコンシェルジュリーに訪れてみてください。
「コンシェルジュリー」のデータ
国名 | フランス |
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世界遺産名 | パリのセーヌ河岸 |
名称 | コンシェルジュリー |